WA 11/11(火) 19:09:21 No.20081111190921 削除
私、高島研二と薫子は47才と42才で2度目の結婚です。2度目と
言っても違う相手との再婚ではありません。私と薫子は一度離婚し、
又結婚したのです。再婚した後の話です。一人暮らししていた頃の
妻の回想が大きな部分を占めます。この物語の重要な要素ですので
省けません。冗長な話ですがご容赦下さい。
離婚したのは約3年半前の事です。小さいながらも、それなりの
商社を営んでいました。資金繰りが怪しくなり、銀行にも見放され、
町金融に手を出したのが始まりで、後は坂を転がるように、行き着く
ところまで行ってしまいました。まっとうな所からお借りした金は
それなりに待って頂いたり、金額を減らしてでも返済する事が出来ます。
しかし町金融にはそれが通じません。自宅の前で朝に晩に大声を出される
ようになり、このままでは妻にまで危害が及びそうに感じたのです。
幸いな事に自宅は担保に入っておらず、売却すれば町金融の債務は
返せると思っていました。ところが清算する段になって元金が3倍にも
なっている事を知らされます。自己破産し清算は出来たのですが、
町金融の嫌がらせは続きます。法的には私に何の落度はありませんが、
妻の事を考え離婚することにしたのです。
私が44才、妻、薫子が39才の時離婚しました。娘の朋子は京都の大学
付属高校の寄宿舎住まいです。娘には私達夫婦が離婚した事は知らさず
にいました。
薫子には『3年の内にはきっと君を迎えに行く』と、私は東京郊外の
千葉の北部の以前の住まいの近くにアパートを借りました。薫子は自分
の出身地、茨城の県庁所在地にやはりアパートを借り、そこで住むよう
になります。私のアパートからは100km程離れています。なにも、
そんなに遠く離れたところに借りる必要はなかったのですが、町金融の
事が頭にあり、出来るだけ遠くの場所にしたのです。それから薫子の
親元に近いと言う事もありました。
それと一番大事な要素は薫子の仕事です。自己破産した後も私は細々と
仕事を続ける事が出来ました。しかし自分の生活と娘への仕送りが精一杯
です、薫子の生活までは手が回りません。そんな時募集広告があったのです。
その会社の本社は東京ですが、製造事業所はその県庁所在地にあり、条件に
地元出身の人のみとありました。薫子はその面接に受かり、そこにアパート
を借りたのです。薫子のご両親の住いもその県庁所在地にありますが、
離婚したとは言え、ご両親に迷惑をお掛けしたくはなかったのです。
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