①私達夫婦の事
私の妻は40歳。 私は50歳。 見合い結婚して13年になります。
男好きのする顔立ちと肉感的な姿態をしているくせに育ちの良さのせいか、私の前では決して淫らなそぶりなど一度も見せたことなどない妻でした。
結婚して10年の間、子宝に恵まれず、それが妻の体質に原因があると知ってから、私はそんな妻を単なる性欲処理の道具として抱くことになるセックスに、妙な罪悪感を覚えてしまったのです。
自分から求めてきた事など一度も無い妻です。
私が妻に遠慮して求めなくなれば私達が立派なセックスレス夫婦になってしまうのに、そう時間の掛かることではありませんでした。
そのことが妻の心の中に『子供が産めない女』=『夫ですら抱いてくれない女』というコンプレックスを刻む結果となったのです。
私は妻を心の底から愛していながら妻の心を深く傷つけてしまったのです。
今にして思えば、私は妻を心で想う以上に体で愛してあげるべきでした。
妻が如何に男から見て魅力的な女性であるか、その体で確かめて欲しい…。
私達のこの数年間は、私が妻に植え付けてしまった肉体へのコンプレックスを、少しでも取り除けたらとの、いわば私から妻への贖罪の旅でもありました。
妻は(心の底では望んでいる事であっても)恥ずかしいと思った事は私に対しては一切口にしない女でした。
私からすれば、どんなに恥ずかしい事であっても夫の私にだけは言って欲しいと思っているのに、です。
私達夫婦のジレンマがここにありました。
私の妻は子犬と同じです。
私のすべてを信頼し疑う事を一切しません。
そのあまり、私を失う恐怖に常に怯えている。 そんな感じです。
そんな妻を欺き、私が妻の性癖を密かに覗いた行為についてはあらゆる批判を受けることになるでしょう。
ですが、妻のように性というものに対し根強い羞恥心を持つ者は、その隠れた性癖が淫靡であればあるほど心の奥底に隠し続けようとするのではないでしょうか。
最初のきっかけは、私達夫婦がセックスレス状態になった3年ほど前、妻が夜中に布団の中で息を殺しながらオナニーしているところを私が目撃した事から始まります。
妻の息苦しそうな気配に目覚め、まったくの偶然目にすることができた妻の痴態でしたが、普段の「貞淑」な妻からは想像が付かない淫靡な姿を見たその日から、もっと淫乱な妻を見てみたいと思うようになっていったのです。
私が求めない限り、妻からは決して求めようとしなかったセックス。
でもオナニーはする…。
肉体の快楽だけを追い求めるセックスを実は妻も欲していた。
でも、それを私には求めたりはしない…。
オナニーで満足してるから私は必要としない?
私のセックスはオナニー以下?
そんな、男としての自信を喪失させられた、屈折した想いに捉われ始めたのです。
もっと妻の淫靡な姿を見てみたい。 できることなら、私の手でもっと淫乱な女にしてやる。
こんな私の欲望が私達のライフスタイルをも変えていったのです。
そんな私にとって、妻に対する盗撮は、妻をより深く知る為のやむを得ない手段でした。
そうやって知り得た妻の性癖の一つ一つを開放し、妻を真の喜びに導く為に、私なりにより多くの機会を妻に与えてきたつもりです。
事実、その度に妻は肉体に対する自信を取り戻し、新たな妻の姿を私に垣間見せてくれたのです。
妻は私以外の男が望む事や喜ぶ事を、自らの手で探し出していきました。
これから告白する事を妻が一つ一つ体験する度に、妻は変貌を遂げました。
恥ずかしいと口にしなかったような事も、時折私に話してくれるようになりました。
道徳観や倫理観から外れるような行為を体験してこそ、初めて見えてくるものもあることを私達は知ったのです。