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北原夏美 四十路 初裏無修正

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桐 10/8(月) 22:19:13 No.20071008221913 削除
横浜を出るころは雲が多かった空も、K温泉に着いた時はすっかり晴れ上がっていた。紅葉にはまだ早いが、かえってそれだけに有名な温泉地とはいえ降車客も多くない。急に思い立った旅行だったが、希望の宿も問題なく予約することが出来た。

「気持ちいいわ、これこそ秋晴れって感じですね」

駅前に降り立つと、オレンジ色のニットのトップに白いパンツ姿の江美子が両手を上げて大きく伸びをする。明るい栗色に染めたウェーブのかかった髪が陽光にきらめくのを隆一はまぶしげに見つめる。

隆一は地面に置いた江美子のバッグを空いた手で持つと、タクシー乗り場に向かう。

「あん……自分の荷物は自分で持ちますよ」

江美子が小走りで隆一を追いかける。隆一はドアを開いたまま客を待っている数台のタクシーのうち、先頭の車に乗り込むと「Tホテル」と行き先を告げる。

「チェックインにはまだ早いから、ホテルに荷物を置いて少しその辺りを散歩をしよう」
「そうですね、2人とも日頃運動不足ですから」

江美子がにっこりと笑うのがドアミラーに写る。

「江美子」
「何ですか?」
「その丁寧語はやめろ」
「だって……習慣になっていますから、すぐには直りませんわ」

江美子は少し困ったような顔をする。

隆一と江美子が出会ったのは今から2年前、隆一が37歳、麻里が31歳のころである。大手都市銀行の一角、首都銀行の審査1部に審査役として配属された隆一は、そこの企画グループに所属していた古村江美子と出会った。

一度結婚生活に破れた経験のある隆一は、女性と付き合うことについては臆病になっていた。しかし、江美の育ちのよさから来る天然のアプローチが次第に隆一の心を動かし、一年後に2人は結婚した。

首都銀行は同じ職場の行員同士が結婚すると、どちらか一方は転勤しなければならない内規がある。このため江美はターミナル店舗である渋谷支店の営業部に異動となり、法人営業の仕事に就いている。

タクシーは15分もしないうちにホテルにつく。フロントに荷物を預けて身軽になった隆一と江美子は、再び外へ出る。

「いい眺めですわ」

くっきりとした山並みを見ながら、江美子が溜息をつくように言う。色づき出した木々が美しいまだら模様を作っている。

「理穂ちゃんも一緒だったら良かったですね」

江美子の視線に少し翳りが差したのに隆一は気づく。

「今回の旅行は理穂が勧めてくれたんだ。その気持ちをありがたく受け取っておこう」
「そうですね」

隆一には先妻との間に出来た娘、理穂がいる。5年前に先妻と離婚したとき、小学3年だった理穂にはまだ母親が必要だと隆一は考えたのだが、理穂は母親と暮らすことをはっきりと拒絶した。そればかりでなく、理穂はずっと母親との面会も拒んできた。隆一は娘に根気強く、母親と会うことを奨めたのだが、理穂は頑として受け付けなかった。

江美子と結婚が決まってからは、隆一も娘と母親を会わせることを諦めるようになった。隆一は江美子が理穂とすぐに家族同様にはなれないかもしれないが、いずれはよき相談相手にはなれるのではないかと期待した。そのためには理穂に、母親と会わせることを奨めるのはむしろ弊害になるのではないかと思ったのである。

隆一が江美子と結婚したいということを話したとき、理穂は少しショックを受けたような顔をしたがすぐに平気な顔をして、「良かったじゃない、お父さん」と微笑した。3人で暮らすようになってからも、理穂は江美子に対して屈託のない態度を示したが、それは隆一には、まるで年の離れた姉に対するようなものに見えた。

理穂が江美子のことを母と呼ぶ日が来るのかどうか、隆一には分からない。継母と娘の葛藤といったことは一昔前のドラマや小説ではよく聞くはなしだが、離婚がごく当たり前になった現在ではさほど珍しいものではないのかもしれない。今年中2になった理穂が江美子のことをどう位置付けるのかは理穂自身に任せようと、隆一は考えていた。
桐 10/8(月) 22:20:37 No.20071008222037 削除
旅館を出た隆一と江美子が、川沿いの道を10分ほど歩くと木製の吊橋に着く。橋の向こうから歩いてくる男女2人連れを目にした隆一は急に立ち止まる。

「どうしたんですか」

江美子が怪訝な表情をする。2人の男女も隆一に気づいたのか、一瞬顔をこわばらせるが、すぐに平静を保ち隆一に近づいてくる。

「これは北山さん、こんなところで会うとは奇遇ですね」

男は不自然な笑みを浮かべながら隆一に話しかける。

「……どうも」

隆一は頷いて男の後ろに隠れるようにしている女に目を向ける。女はこわばらせたままの顔を隆一からそむけるようにしている。

「どちらにお泊りですか」
「……Tホテルです」
「そりゃあますます偶然だ。我々も昨日からそこに泊まっているんですよ」

男は笑顔を浮かべたまま隆一の顔をじっと見る。たまりかねた隆一が顔を逸らすと、男は口元に勝ち誇ったような笑いをうかべ、江美子に視線を移す。

「こちらは、奥様ですか」

隆一が答えないので、江美子は仕方なく「はい」と返事をし、頭を下げる。

「そうですか」

男は笑いを浮かべたまま振り返ると、背後の女に声をかける。

「やはりどことなく麻里に似ているな。女の趣味というのは変わらないもんだ」

男はそう言うと声をあげて笑う。女はじっと顔を逸らせていたが、やがて「もう、いきましょう」と男に声をかける。

「それじゃあ、また」

男は薄笑いを浮かべたまま隆一に会釈をすると、隆一たちが来た道を旅館に向かって歩き出す。女は深々と隆一に向かって頭を下げ、男の後を追う。硬い表情で立ち竦んでいる隆一に、江美子が気遣わしげに声をかける。

「隆一さん……今の人たちは」

隆一は江美子に背を向けたまま川面に視線を落としている。

「別れた妻の麻里だ」
「すると、男の人の方は……」
「有川誠治、俺の大学時代のサークル仲間だ」

隆一は掠れた声で答える。

「そして麻里を、俺から奪った男だ」


隆一と江美子はその後30分ほど無言のまま散歩を続けると宿に戻る。チェックインを済ませて部屋に案内された2人はお茶にも手をつけないで黙ったまま座卓越しに向かい合っていたが、やがて江美子がたまりかねたように口を開く。

「隆一さん、どうして麻里さんがここに」
「わからん」

隆一は首を振る。目を上げた隆一は江美子が必死な顔つきをしているのに気づき、言葉を継ぐ。

「本当だ。有川の言っているとおり偶然だろう」
「そうなんですか?」
「……ただ、このホテルは以前、麻里と理穂の家族3人で泊まったことがある」

「麻里さんとの思い出の宿って言うことですか」

江美子の表情がさらに強張ったのを見て、隆一は弁解するように続ける。

「違う。ただその時、料理も応対もとてもいい宿だと感じた。だから江美子を今回連れて来たいと思ったんだ。お互い忙しくて、ようやく2人で来れた一泊旅行だから、あえてはずれを引きたくなかっただけだ」
桐 10/8(月) 22:21:56 No.20071008222156 削除
「本当ですか?」
「本当だ。麻里がここに来ているなんて思いもしなかった。いや、もしも俺との思い出の宿ならなおさら、あいつに来れるはずがないと思っていた」
「私をここに連れてきたのは、それだけが理由なんですか?」
「そうだ」

江美子はしばらく目を伏せていたが、やがて顔を上げる。

「わかりました。隆一さんの言うとおりだと信じます」

江美子はそう言うと柔和な笑みを浮かべる。

「隆一さんは気になりますか? 麻里さんのことが」
「いや……」

隆一は首を振る。

「さっきはいきなりだったからこちらも驚いただけだ。あれからもう5年以上もたつし、俺には今は江美子がいる」
「それなら、折角の旅行ですから、楽しみましょう。こちらが気にしなければいいだけのことです」

江美子は冷めかけたお茶を一気に飲み干す。

「お茶を淹れなおしましょうか」
「いや、だいぶ歩いたせいか、喉が渇いた。俺もこれでいい」

隆一も湯飲みの中のお茶を飲み干す。

「それじゃあ、お食事前にお風呂に行きましょう」

江美子は立ち上がると隆一を誘った。


Tホテルは和風の温泉旅館であり、男女別に別れた室内の大浴場だけでなく、タオル着用の混浴の露天風呂、またいくつかの貸切の家族風呂がある。江美子は隆一と別れ、室内の女湯に向かった。

チェックイン間もない時間でもあり、風呂には先客は3人しかいない。うち一人は60過ぎ、もう2人は江美子とほぼ同年代と思われる母親とその娘らしい少女である。

少女は母親に髪を洗われながらきゃっ、きゃっと楽しそうにはしゃいでいる。江美子はそんな母娘の姿をぼんやりと眺めている。

(理穂ちゃんと麻里さんも、やはりこのお風呂の中であんな風に楽しそうにしていたのだろうか……)

母親はケラケラと笑う娘をたしなめつつも、慈愛のこもった眼差しを向けている。江美子は軽く身体を洗うと湯船に浸かり、ゆっくりと手足を伸ばす。

日頃溜まった疲れが湯の中に溶けていくようである。江美子は母娘の姿を見ながら先ほど出会ったばかりの麻里のうろたえたような顔を思い出す。

(麻里さんはやはり理穂ちゃんと暮らしたいだろう。理穂ちゃんも本当はそうなのでは……)

母と娘は仲良くてを握り合って風呂から出る。江美子がぼんやりと湯船に浸かっているうちに何時の間にか60過ぎの女性はいなくなっている。一人になった江美子がうとうとしていると、扉が開く音がして新たな客が入ってくる。

顔を上げた江美子は、それが麻里であることに気づく。

「あ……」

麻里は一瞬戸惑ったような顔をするが、やがてお辞儀をすると洗い場に腰をかけ、軽く身体を洗い、湯船に入ってくる。

「先ほどはご挨拶もせずに失礼致しました。中条麻里と申します」
「こちらこそ失礼しました。北山……江美子と申します」

裸のまま2人の女は湯船の中で向かい合う。

「いつも理穂が大変お世話になっています」
「いえ……」

江美子は首を振ろうとして、麻里に尋ねる。
桐 10/8(月) 22:23:26 No.20071008222326 削除
「あの……理穂ちゃんはお母様と連絡をとっているのですか」
「はい」

頷く麻里を見て江美子は更に尋ねる。

「隆一さんと離婚されてからは、お会いになっていないと聞いているのですが」
「会ってはもらえませんが、たまにメールで最低限のやり取りは。私がいなくなってからは理穂が家のことを取り仕切っていましたので」
「あの……ここに私たちが来ることをご存知だったのですか?」

ひょっとして麻里が、自分と隆一がTホテルに来ることを理穂から聞いて、わざといっしょの宿をとったのではないかと疑ったのである。

「とんでもありません。私もまさか隆一……さんと会うなんて思ってもいませんでした。もしそんなことになるのが分かっていれば有川さんのお誘いを断っています」
「有川さんって……そう言えば、さきほど麻里さんは中条とおっしゃいましたが」
「中条は私が結婚する前の姓です。離婚したので旧姓に戻りました」
「有川さんとはご結婚されていないのですか?」
「はい。私は二度と結婚するつもりはありません」

麻里はきっぱりとした口調で言う。

「私のような女が結婚すると、周りを不幸にするだけです」
「……」
「江美子さんとおっしゃいましたっけ、私がいえるようなことではありませんが、隆一さんを幸せにしてあげてください。そして、出来れば理穂も……」

麻里は湯船の中で深々と頭を下げる。江美子はそんな麻里をしばらくじっと見つめていたがやがて「麻里さん、頭を上げてください」と声をかける。

「私は麻里さんから頭を下げられるようなことはしておりません。ただ隆一さんが好きで……一緒になっただけです。理穂ちゃんと私は家族ですし、仲良くしたいと考えていますが、理穂ちゃんの母親は麻里さんだけだと思っています」
「私には母親の資格なんて……」
「子供にとって、自分を産んだ母親は掛け替えのないものだと思います」
「……ありがとうございます」

麻里は顔を上げて、江美子に微笑みかける。

「それにしても、こんなところで一人の男の前の妻と今の妻が裸のまま挨拶を交わすなんて、考えてみたらちょっとおかしいですわね」
「そういえば」

麻里の言葉に江美子もなんとなく滑稽な気分になる。

「江美子さんには不愉快な思いをさせてしまってどうもすみません。隆一さんによく説明しておいてください。今回のことは本当に偶然なのです」
「わかりました」

江美子も微笑んで頷く。

お互い裸で入るせいか、江美子は麻里に対してなぜか打ち解けた気分になる。

「そうですか、インテリアコーディネーターなんて素敵ですね」
「全然素敵なんじゃないんです。カタカナでなんとなく格好良さそうに聞こえるだけで、本当は泥臭い仕事なんですのよ」

お互いの仕事の話をしているうちに、江美子は麻里が隆一の先妻だということにも不思議と抵抗がなくなってくる。

「江美子さんはおいくつですか?」
「今年33になりました」
「まあ、お若いんですね。羨ましいわ」
「そんな……もうおばさんですわ」
「33でおばさんなら、私なんてどうなるの。来年で40よ」

麻里はくすくすと笑う。

(……ということは隆一さんと同い年)

江美子はちらちらと麻里の白い肌を眺める。

(それにしては綺麗な肌をしている……私よりもずっと色が白くてきめが細かいかも)

江美子がそんなことを考えていると、麻里が思い出したように口を開く。
桐 10/9(火) 21:26:58 No.20071009212658 削除
「でも、有川さんが言ったとおりかもしれません……」
「えっ?」

考えに耽っていた江美子は、麻里がじっとこちらを見つめているのに気づく。

「隆一さんが好きな女性のタイプというのがあるんでしょうね。あの人の譲れない好みは目元がはっきりしていること。胸の大きさにはあまり拘らないけれど、お尻が大きめでしかも形がいいこと。その2つです。江美子さんはそれを両方とも満たしていますわ」
「そんな……」

江美子にとってはコンプレックスだったお尻の大きさを麻里から指摘されたことも恥ずかしかったが、有川という男は麻里から、隆一の好みを聞いていたのかと少々不快な気分にもなる。

麻里はそんな江美子の疑念を察したかのように再び口を開く。

「いえ、有川さんがそういったのは、あの人が昔から隆一さんの好みを知っていたからです」
「どういうことですか?」
「隆一さんと有川さんは、大学時代のサークル仲間だったんです。隆一さんたちの大学を中心とした合唱団で、隆一さんがセカンドテナーのパートリーダーで、有川さんがバリトンのリーダー。私は2人とは違う大学だったけれど、同じサークルに所属していて、そこで彼ら二人と知り合ったのです」
「そうなんですか……」

有川という男と隆一がサークル仲間だということは先ほど隆一から聞いていたが、それ以外は江美子にとっては初耳である。

「江美子さんは私のことを隆一さんから聞いていないんですか?」
「いえ、ほとんど何も」
「あら、そうなんですか?」

麻里は少し驚いたような表情になる。

「隆一さんと有川さんは単なるサークル仲間というだけでなく、音楽の趣味もぴったり合っていて、お互いが一番の親友だと言える仲だったんです。おまけに女性の好みも同じ。目元がはっきりしていてお尻が大きめの女、っていうのは有川さんの好みでもあるんです」

麻里は微妙な笑みを浮かべる。江美子は何と反応したら良いかわからず、やや当惑した表情を麻里に向けている。

「ごめんなさい、少し喋りすぎたかしら」
「いえ……」
「なんだか江美子さんのことを品定めするような言い方をしてしまったわ。初めてお会いしたような気がしなくて、失礼なことを申し上げてごめんなさいね」
「そんな……いいんです」
「隆一さんのことは隆一さん自身から聞かされるべきね。あの人とはもう他人になった私なんかがおせっかいをするのは良くない。それは分かっているのだけれど……」

麻里はそう言うと少し顔を逸らす。

「あの人には……今度こそ幸せになって欲しいの」
「……麻里さん」
「これも余計なことですね。あなたのような女性を見つけたのだから、今はきっと幸せなんでしょう。いえ、これからもずっと」

麻里は湯船の中で立ち上がる。

「本当は私がこのままここから姿を消した方が、江美子さんの気持ちは穏やかになるのだろうけど……」
「そんな、私はかまいませんわ」

江美子は首を振る。

「隆一さんの昔のことを少しでも知ることが出来て良かったです」
「そう、ありがとう。それじゃあ出来るだけあなたたちのお邪魔にならないようにするわ」

麻里はそう言って微笑むと江美子に「お先に」と声をかけ、脱衣所へと歩き出す。湯に濡れてキラキラ光る麻里の白く豊満な臀部が左右に揺れるのを、江美子はぼんやりと眺めていた。
桐 10/9(火) 21:28:01 No.20071009212801 削除
江美子が風呂から帰ると隆一は既に部屋に戻っていた。間もなく部屋に二人分の料理が運ばれてくる。用意を終えた仲居が下がると、旅館の浴衣を身につけた隆一と江美子は座卓に向かい合って坐る。

「この旅館は部屋食なのがいいな」

江美子からビールの酌を受けた隆一が、江美子のグラスにビールを注ぎながら呟く。

「他のお客と顔を合わさなくていいからですか?」
「そうだ」

隆一はそう言うと微笑し、手に持ったグラスを江美子のグラスに触れさせて「乾杯」と言う。

「何の乾杯ですか?」
「結婚一周年だ」
「記念日は来月ですわ」
「わかっている。だいだいで、っていうことだ」

空になったグラスに江美子がビールを注ぐ。

「別に来月、お祝いをしないっていう意味じゃないぞ」
「わかっていますわ」
「来月は理穂と三人でやろう。今晩は二人だけで前祝いだ」

隆一は旨そうに二杯目のビールを飲むと、再び江美子のグラスを満たす。

「ここからは手酌でやろう。料理も旨そうだ」

隆一は前菜をつつき出す。しばらくの間隆一と江美子は、新鮮な山菜や川魚を中心とした料理に集中する。

「この山女も旨いな」
「そうですね」

隆一は山女の塩焼きの身をほぐしたのをつまみに、常温の日本酒を飲んでいる。江美子も酒は嫌いではないが、それほど強くはない。隆一に付き合っているうちに江美子の顔は薄い桃色に染まっている。

江美子は先ほど麻里から聞かされたことを話題に出そうか迷っていた。結婚するにあたって隆一に離婚歴があることは知っていたが、「性格の不一致」と説明する隆一に対して深く尋ねることはなかった。

江美子自身が今時離婚など珍しくないと考えていたことと、通常なら母親が引き取るはずの娘の理穂を隆一自身が引き取っていることから、隆一に大きな落ち度はなかったのではないかと判断したことが理由である。

江美子は結婚する前に隆一から理穂に引き合わされた時のことを思い出す。イタリアンのレストランで江美子と向かい合って食事をしながら愛想よく話をしていた理穂が、隆一が急な仕事の電話で席を外した時、声を潜めて江美子に囁いた。

「江美子さん、パパがママと離婚した本当の理由を聞かされている?」
「いえ……」
「それなら教えて上げる。絶対に知っておいた方がいいから」

身を乗り出すように話す理穂の言葉に江美子は思わず聞き入る。

「ママがパパを裏切ったの。男を作ったのよ」
「えっ……」

理穂の言葉に江美子は衝撃を受ける。

ひょっとしてそういうことではないかとは思っていたが、まだ中学1年の理穂があまりに生々しい言葉を発したことにむしろ驚いたのである。

「パパは江美子さんに対して、ママが一方的に悪いというような言い方はしていないでしょう?」

その通りなので江美子はうなずく。

「パパはそういう人なの。自分にも責任があると思ってしまう。でもパパは全然悪くないわ」

理穂は真剣な表情を江美子に向ける。

「江美子さんはパパを裏切らないでね」
「えっ」

江美子は理穂の迫力に気圧されそうになる。

「もちろんよ。そんなことはしないわ」
「良かった」

江美子の言葉に理穂はにっこりと笑みを浮かべる。

「約束よ」
「ええ、約束するわ」
「それなら私はパパと江美子さんの結婚には大賛成よ」
桐 10/10(水) 21:36:41 No.20071010213641 削除
江美子が隆一を裏切らないことを確認したことで安心したのか、それからは理穂は江美子に対して屈託のない態度を示すようになった。江美子はその時の理穂との会話を隆一に対して伝えることはなかった。

理穂は隆一と麻里が離婚するに至った事情を正確に理解しているわけではないだろう。しかし、自分の母親が父親を裏切るようなことをしたということには気づいており、そのため心になんらかの傷を負っているようだ。

(早熟な子だわ。私が中学生の頃はもっとのほほんとしていたのに。見たくもない両親の修羅場を見てきたせいかしら……可哀そうに)

江美子は理穂の年齢に比して大人びた表情を思い出す。

(私が隆一さんとしっかり信頼関係を築くことで、理穂ちゃんにとっても心が休まる家庭を作らないといけないわ)

江美子はそう思い定めると、隆一に切り出す。

「……さっき、お風呂の中で麻里さんと会いました」
「そうか……」

隆一は更に目を落としたまま答える。

「何か話をしたか?」
「ここで出会ったのはやはり偶然だと……でも、理穂ちゃんと時々連絡は取り合っているとおっしゃっていました」
「え?」

隆一は顔を上げる。

「それは気がつかなかったな」
「携帯のメールらしいです」
「俺との連絡にも必要だからということで、中学に上がるときに買ってやったんだ。それなのに俺には滅多にメールなんかよこさないと思っていたが」
「女同士、相談したいこともあるんでしょう」

自分の言葉がフォローを入れたつもりが、そうではなくなっていると江美子は感じる。麻里は「最低限の連絡」としか言っておらず、理穂から何か麻里へ相談しているなどとは話していなかった。どうしてそれをちゃんと隆一に説明しないのか──江美子は自分で自分の心がわからない。

「相談か。相談なら江美子にしても良さそうだが」
「私はまだ理穂ちゃんとはそこまでの信頼関係はないんでしょう」

どうしてだろう。私は隆一さんに対していじけた言い方をしている。こんなからむような酔い方はしなかったはずだ。

「理穂とあいつの間に信頼関係があるとは思えないがな」

隆一は微かに苦笑を浮かべて首をかしげると、盃の酒を空ける。隆一が麻里のことをやや悪し様に言ったことに気持ちの安らぎを感じた江美子は愕然とする。

(嫉妬……)

江美子はそこで初めて自分の心の裡に気づく。

(私は麻里さんに対して嫉妬をしている。隆一さんを裏切り、とうの昔に別れたはずの麻里さんに。麻里さんが理穂ちゃんと今でも繋がっていることに嫉妬しているんだ)
(それとお風呂の中で麻里さんが私に言ったこと。麻里さんと私はどちらも隆一さんの好きなタイプの女──そのことに拘っている。隆一さんが私の中に、麻里さんの面影を見ているのではないかということがひっかかっている)

「ねえ、隆一さん」
「なんだ」
「麻里さんとは、どうして別れたんですか?」
「それはさっき話しただろう」
「有川さんという男性が、隆一さんから麻里さんを奪ったと」
「そうだ」

隆一は空いた盃に酒を注ぎ足す。

「麻里さんが隆一さんを裏切ったということですか?」
「そういう風に言えば、そうなるかもしれない。しかし、夫婦というのはどちらかが一方的に悪いというわけではない。麻里とのことは俺にも責任があるのだろう」
「そんな」
「結局麻里は俺ではなく、有川を選んだということだ。いや、最初からそうだったのかもしれない」
桐 10/10(水) 21:37:27 No.20071010213727 削除
「最初からって、大学のサークルの頃からということですか?」
「麻里からその話を聞いたのか?」
「いえ。詳しくは」

江美子は首を振る。隆一は盃を座卓において、江美子に真っすぐ向き直る。

「今日あいつらに会わなければ忘れるつもりでいた。しかし、こうなったら江美子も気になるだろうし、やはり一度はちゃんと説明しておかなければならない」

隆一は意を決したように話し始める。

「俺と有川、そして麻里は大学で同じサークル、歳も同じだった。俺も有川も、麻里も合唱団のパートリーダーだったから、サークルの運営に関して集まって話をすることが多かった。男と女がほぼ同数のサークルだからカップルも出来やすい。麻里を好きになったのは俺と有川はほぼ同時だっただろう。有川は麻里に対して本気だったし、奴の方が積極的だったと思うが、結果的には麻里は俺を選んだ」

「麻里に対して失恋してからも、有川はサークルの役員としての務めは果たさなければならない。俺と麻里は有川に気を使って、出来るだけ奴の前では恋人らしい雰囲気を出さないようにはしていたが、それでも奴にはなんとなく伝わってしまう。いや、そうすることがむしろ奴を傷つけたかもしれない。有川としては結構辛い日々だったんだろうと思う」

「大学を卒業して2年目の年に俺は麻里と結婚した。俺たちは有川に、共通の友人として披露宴のスピーチを頼んだ。奴との友情をずっと大切にしたいと本気で思っていたし、それこそ有川が結婚でもすれば、家族ぐるみで付き合いたいなんて考えていた。若い頃というのは平気で、無神経で残酷なことが出来るものだ。俺が有川の立場だったら耐えられなかっただろうが、奴は平然と引き受けてくれた。俺も麻里も自分たちの幸せで、周りのことが見えなくなっていた」

「結婚した翌年に理穂が生まれた。愛する妻に可愛い娘を得て、俺は幸せの絶頂だった。仕事もどんどん忙しくなり、有川とだけではなく、大学のサークル仲間とは徐々に疎遠になっていった。麻里は大学を卒業後準大手の商社で働いていたが、いったんその会社を辞めて理穂を育てながら独学で二級建築士とインテリアコーディネーターの資格をとり、理穂が3歳になったときに実務経験がないのにもかかわらず中堅どころのリフォーム会社に採用された。そこで実績を積んで4年後に大手のハウスメーカーに転職した。その会社の取引先の不動産開発会社で営業をやっていたのが有川だ」

江美子は大きな目を丸くして隆一の話を聞いている。

「偶然ですね……」
「ああ」

隆一は頷き、日本酒を一口すする。

「その頃ちょうど悪いことに、俺も麻里も仕事が忙しくてすれ違いになることが多かった。俺は正直言って、麻里には家庭に入ってもらいたかったが、毎日活き活きと仕事をしている麻里を見ているとそんなことはいえなかった」

「麻里が本格的に仕事を始めてからは理穂はもっぱら俺の母が面倒を見ていたが、すっかりお祖母ちゃん子になっていた。麻里は麻里で理穂の面倒を見てもらっているという負い目があるためか、俺の母の前では遠慮がちだった。母も悪気はないのだろうがずけずけとものをいうところがあるため、麻里にはそれがかなりストレスだったのだろう。しかし俺に対してその不満を吐き出すことが出来ない。自分の勝手で俺の母に迷惑をかけていると思っているからな」

「そこで仕事のことも含めて愚痴の聞き役になったのが学生時代の友人ということもあり、気心の知れた有川だったのだろう。麻里も酒は嫌いな方じゃないから、仕事上の付き合いや女友達とたまに飲んでくるといっても俺は特に気にしていなかったんだが、後になって酒の相手はほとんど有川だということがわかった。こうなれば有川の方には元々その気があるのだから、男と女の関係になるのは時間の問題だ」
「でも」

江美子は隆一の告白に息を呑む。

「誰もが必ずそうなるとは限らないんじゃ」
「それはもちろんそのとおりだ。その意味では麻里にも責任がある。麻里が俺を裏切ったというのはその点だ。しかし俺も麻里の悩みに真剣に向き合っていなかった」
「けれどそれは、働く母親なら誰でも持つような悩みでしょう?」
「そういった場合、多くは自分の母親を頼る。しかし麻里は小さい頃に母親を亡くしているから相談したり頼れる相手がいない。中途採用で入社した職場では弱みを見せられないからな。だからこそ自分は理穂を失いたくなかったんだろうが」

隆一は顔を上げて、江美子の方を見る。

「俺の気遣いが足らなかった。仕事をしているもの同士、また理穂の父親として、もっと麻里の悩みを聞いてやれば良かったんだ」
「私は隆一さんに色々、悩みを聞いてもらいました」
「そうだったな」

隆一は静かに笑い、盃の酒を飲み干す。
桐 10/11(木) 21:25:16 No.20071011212516 削除
「どうしていざ自分の妻のことになると忘れてしまうのかな。相手も自分と同じ、仕事も家庭も両方とも大事にしたい人間だってことを。今回はせいぜいそれを忘れないようにするよ」
「隆一さん、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「理穂ちゃんは、どうして麻里さんと一緒に暮らすのを拒んだのですか?」
「理穂に直接聞いたわけじゃないから、わからないが」

隆一は首をひねる。

「自分が母親がいないせいで寂しい思いをした人間でありながら、家庭を壊すようなことした母親のことを許せなかったのかもしれない。しかし麻里と別れたとき、まだ理穂は小学3年だったからな。どこまで突き詰めて考えたのか」
「隆一さんのことを可哀そうに思ったのでは」
「理穂がか? それはどうかな」

江美子の言葉に隆一は微笑する。

「可哀そうに思ったとしたら、自分を事実上育ててくれた俺の母親のことじゃないかな。俺は両方の親に対して離婚の原因を伏せておくつもりだったが、麻里が黙っていられなくて自分から話してしまったんだ。曲がったことの嫌いな俺の母は麻里がしたことを随分憤っていたからな。そんな祖母の様子を見ながら、自分が母親と暮らすとは言えなかったのかも知れない」
「そんな……」
「まあ、これは推測に過ぎない。本当のところは理穂に聞かないと分からない。いや、本人に聞いてもどれくらい分かっているか」
「どういうことですか?」
「自分の気持ちは自分でもわからないことが多い」

隆一はそこまで話すと徳利を持ち上げるが、空になっていることに気づく。

「この話はこれくらいでいいだろう。折角の2人きりの旅行だ。もう少し呑もう」


食事を終え、少し酒に酔った江美子は、隆一と一緒に外の空気を吸おうとロビーへ続く廊下を歩いていた。壁沿いに3つ扉が並んでおり、それぞれ木の札がかけられていた。

(ここが家族風呂なんだわ)

ふと見ると、扉の一つに「午後11時~12時、有川様」という札がかかっている。

(有川さんと麻里さんが入るのだわ)

江美子の脳裡に大浴場で見かけた麻里の姿が浮かぶ。豊満な麻里の裸身が湯船の中で有川に抱かれているのを想像し、江美子はふと息苦しさに似たものを感じる。

隆一もその木の札に気づいたようで、複雑な表情をしている。

(隆一さん、今何を考えているのかしら)
(やっぱり、いくら別れたとはいっても、元の奥様が他の男に抱かれると思うと心中穏やかじゃないのかしら)

江美子はそんなことを考えながら隆一のほうをチラチラと見るが、当然ながら隆一の表情からはその心の裡を窺うことは出来ない。江美子は先を歩く隆一について、旅館の庭へ出る。

「星が綺麗に見えるな」

空を見上げた隆一が呟く。

「本当ですね。東京じゃ考えられないほどですわ」

江美子も釣られて頷く。

「理穂ちゃんにも見せてあげたいですわね」
「江美子……」
「はい」
「後で一緒に露天風呂に入らないか」
「えっ」

隆一の突然の申し出に、江美子は戸惑いの表情を向ける。

「こんな綺麗な夜空なら、露天風呂に浸かりながら眺めたら気持ちがいいだろう。江美子は混浴は苦手かもしれないが、ここはタオル着用でかまわないし、今日は客もそれほど多くないようだ」
「でも」
「そうだな、11時ごろがいいかな。寝る前に一風呂浴びると気持ちがいいだろう」
「あ……」

江美子はそこで隆一の意図に気づく。

「恥ずかしいか?」
「少し……でも」

江美子は頬をほのかに染めながらも、はっきりと頷く。

「わかりました」
桐 10/11(木) 21:25:56 No.20071011212556 削除
江美子は体を包んだバスタオルをしっかりと押さえながら、隆一の後を歩いている。脱衣所から露天風呂までこんなに距離があるとは思わなかった。足元の灯りもそれほど明るくなく、江美子は思わず敷石から足を踏み外しそうになって小さな悲鳴をあげる。

「気をつけろよ」
「はい」

江美子は隆一に手をとられて敷石にあがる。

「私、混浴って初めてです」
「最近は水着やタオル着用のところも多いから、若い女性でもそれほど抵抗なく入るようだ」
「誰かいるかしら」
「そりゃあいるかも知れないが、こちらがあまり気にしていると相手も居心地が悪くなる。自然にすることだ」
「隆一さん、混浴の温泉に入ったことがあるんですか?」
「何度か、な」
「まあ」

薄暗がりの中で江美子が目を丸くする。

「でも、期待したような若い女性はいなかった。どこも婆さんばっかりだったよ」
「それは残念でしたね」

江美子はくすくす笑う。

有川と麻里に偶然出会ったことで動揺を隠せなかった隆一だったが、ようやく冗談を言うような気持ちの余裕が出てきたことに江美子は安堵する。

(露天風呂では二人きりなら良いのに)

江美子はそんなことを考えて顔を赤くする。

二人はやがて露天風呂に着く。女性に配慮してか周囲はしっかり目隠しをされており、照明も暗く落とされている。そして江美子にとってもっとも安心したのは、先客が誰もいなかったことだった。

「誰もいませんね」
「そうだな」

当たり前のことを隆一に確認する自分がおかしくなる。江美子と隆一は身体を軽く流し、風呂に入る。湯は透明に近く、5、6入れば一杯になりそうな大きさのため、他の男性客がいたらやはり抵抗があるかもしれない、などと江美子は考える。

それでも二人きりなら十分身体も伸ばせる。お湯もぬるめで、ゆっくり漬かるにはちょうど良い。江美子は今回の旅ではじめてリラックスしたような気分になり、はあと大きなため息をつく。

「気持ち良さそうだな」
「すみません、つい」

江美子は顔を赤くする。

「二人きりなんだから、タオルをはずしたらどうだ」
「えっ……」

江美子は一瞬ためらうが、やがてこっくりと頷く。

外したバスタオルを湯船の外へ置く。素裸になった江美子は恥ずかしげに隆一から身体を隠そうとする。

「どうした、恥ずかしいのか」
「……」
「江美子の裸なんて見慣れているぞ」
「ひどい……見慣れているなんて」

江美子は拗ねたように顔を逸らせる。

「はっきりと見せてくれ」

江美子は頷くと胸と足の付け根辺りにおいていた手を外す。乳房から鳩尾、そして腰にかけて隆一の視線が注がれるのを江美子は感じる。

「見慣れているといったが訂正しないとな。露天風呂のお湯を通して見る江美子の身体は格別だ」
桐 10/13(土) 01:05:06 No.20071013010506 削除
「それは、はっきり見えないからいいという意味ですか?」
「そうじゃない。神秘的だということだ」

隆一はそう言うと江美子の肩を抱き寄せ、軽く接吻する。

「隆一さん」
「なんだ」
「お風呂で……麻里さんの裸を見ました」
「……」
「肌がとても綺麗でした」
「江美子も綺麗だ」
「私は地黒です。麻里さんの肌は透き通るように白くて……」

江美子の口をふさぐように、隆一が再び接吻する。江美子は隆一が求めるまま舌先を預ける。十分に江美子の舌を吸った隆一が、耳元で囁きかける。

「麻里と江美子を比較したことはない。麻里のことは気にするな」
「はい……ごめんなさい」

隆一は湯の中で江美子をしっかり抱くようにすると、小ぶりだが形の良い乳房をゆっくりと揉み始める。江美子の息が段々と荒くなっていく。

「隆一さん……」
「なんだ」
「お湯にのぼせてしまいます」
「この風呂はぬるめだから、1時間くらい入っていても大丈夫だ」
「そんな……」

隆一は江美子の肢の間に手を伸ばす。江美子は思わず足を閉じようとするが、力が入らない。隆一の指先が江美子の股間に滑り込んでいく。

「ここのところは少しお湯の質が違うようだな」
「駄目」
「随分ねっとりしているぞ」
「誰か……人がきます」
「この時間にもう誰も来るもんか」
「ああ……」

隆一が江美子の片肢に手をかけ、力を入れるとそれはあっさりと開いていく。両足を開いた江美子は隆一の足の上に跨るような姿勢になり、背後から手を回した隆一に乳房を揉まれるままになっている。

「風呂の中というのは便利だな。こういう姿勢でも全然重くない」
「私のお尻が大きいから……普段なら重いといいたいんでしょう」
「俺は江美子の尻が気にいっている」

隆一はそう言うと片手を江美子の双臀の溝のあたりに回し、肛門の辺りをまさぐる。

「あっ、駄目っ!」

江美子がむずがるように裸身を悶えさせた時、突然人の気配がしたので隆一は手を止める。

「おやおや、先客がいましたか。邪魔をしましたね」

驚いたことにそこに立っていたのは有川と麻里だった。

有川はタオルを腰に巻いており、麻里はバスタオルで胸元から腰の辺りまで覆っている。江美子は慌てて隆一の膝の上から降りる。

(見られた……でも、どうして)

江美子は恥ずかしさに身体を縮こませる。いったいいつから見られていたのか。隆一の膝の上に乗っかって思わぬところをまさぐられて発した、はしたない悲鳴を聞かれてしまっただろうか。

しかし、有川と麻里は今頃、貸切の家族風呂に入っていたはずではないのか。有川たちと顔を合わせる恐れがないからこそ、隆一は自分を混浴露天風呂に誘ったのだ。

江美子は湯船の外に置いたタオルを手探りで取り、胸から腰の辺りを隠す。

「一緒に入ってもよいかな」
「どうぞ……」

隆一が仕方なく頷くと有川は身体を軽く流し、湯船に入る。有川に促された麻里は申し訳なさそうな顔をちらと隆一と江美子に向けたが、有川に続いて湯の中に入る。隆一と麻里、江美子と有川が向かい合った格好になる。
桐 10/13(土) 01:05:50 No.20071013010550 削除
「四人でちょうど良い大きさだな」
「そうですね……」

有川に話しかけられた麻里は隆一から顔を逸らすようにして頷く。有川の視線はじっと江美子に据えられており、江美子は恥ずかしさにますます動揺する。

(やっぱりはしたない声を聞かれてしまったのでは……)

どぎまぎしている江美子に、有川が話しかける。

「さっき麻里に似ていると申し上げましたが、やはり麻里よりずっと若いせいか、肌の張りが違いますね」

江美子を品定めをするような有川の口調に、隆一の顔が不快そうに歪む。麻里があわてて「あなた……」と有川をたしなめる。

「いいじゃないか。お互いに裸なんだから飾ったことを言ってもしょうがない」

有川はそう言うとニヤニヤ笑いを浮かべる。

(先にお湯から出ようか……でも……)

この位置では出るときに有川にまともに裸のお尻を見られることになる。有川は女の好みが隆一と同じで、大き目のお尻が好きだと自分で公言していた。

隆一から麻里を奪った有川の目の前に、タオル一枚で覆われた裸をさらすだけでもたまらなく恥ずかしいのに、その好色な視線にお尻をさらすなんてとても出来ないと江美子は考える。

「家族風呂にいたんじゃないのか」

隆一がたまりかねて口を開く。有川は今度は隆一のほうを向いてにやりと笑う。

「札を見たのか」
「ああ」
「あんな風に予約の札を出しておけば、お前たちが俺たちを避けて露天風呂に入るんじゃないかと考えたんだ。まんまと予想が当たった」

隆一が苦々しい顔つきになる。

「北山の行動はだいたい予想がつくよ。学生の頃からそうだっただろう。俺が予想が出来なかったのは麻里に対する手の早さだけだ。いや、あれは麻里の方の行動が予想できなかったと言った方がいいか」
「何をしに来たんだ」
「俺たちが露天風呂に入っちゃいけないか? いや、こういう言い方はさすがにずるいな」

有川はニヤニヤ笑ったまま続ける。

「北山と仲直りをしたいんだ」
「仲直りだと?」

隆一は眉を上げる。

「お前……お前たちが五年前に、俺に対して何をしたのか忘れたのか?」
「もちろん忘れてはいない。悪かったとは思っているよ」

有川は依然として顔に微笑を貼り付けたまま隆一に視線を向けている。

「しかし、あの件についてはこちらも慰謝料を払って解決しただろう」
「解決なんかするもんか」
「そういわれても困る。お互い示談書に署名したということは法的には解決したということだ」
「気持ちの問題だ」
「気持ちの上でも吹っ切れたから、お前は再婚したんじゃないのか」

有川はもう笑ってはいなかった。有川の言葉に隆一は黙り込む。

「昔の話にさかのぼるときりがない。俺はお前と麻里が結婚する前から麻里のことが好きだった。それはお前にもきちんと話していただろう。それを抜け駆けのように俺から麻里を奪ったのは北山じゃないのか」
「奪ったわけじゃない」
「本当にそうか? 俺が麻里と何度か2人だけで会っていたことはお前にも話していた。お前が俺と同様、麻里に気があるのはもちろんわかっていたが、だからこそ正々堂々と俺のやっていることを公開していたんだ。しかし、お前はその陰で俺に内緒で麻里と会っていた」
桐 10/13(土) 10:39:47 No.20071013103947 削除
「わかっている……そんなことは俺の独りよがりだって言うことは。あの時、結果的に麻里はお前を選んだ。それについてどうこう言うつもりはない。しかしそれを言うなら五年前のことだって、結果的に麻里が俺を選んだと言えるだろう」
「一緒には出来ない。麻里と俺は結婚していた」
「だから俺はお前に慰謝料を払った。だが、気持ちの上で俺がいつまでもお前に負い目を持つ必要はないんじゃないのか?」

江美子はいつの間にか有川の言葉に聞き入っていた。隆一と麻里が別れるにいたったのは、有川が一方的に悪かったわけではないということなのか。そこに至るまでの三人の長い歴史があったということか。

「多少の行き違いはあったが、俺はお前とはいい友達だったと思っている。今までの人生で、お前ほど気が合う奴はいなかった。学生時代のような関係に完全には帰れないかもしれないが、多少でも付き合いを元に戻したい」

有川は真剣な顔を隆一に向けている。

「お前と麻里は結婚するときに、俺とはいずれ俺の女房を含めて家族ぐるみで付き合いたいとまで言ってくれたじゃないか。多少組み合わせは変わったが、これからでもそれが実現できないか」
「そんなことが……」
「理穂ちゃんのこともあるだろう」
「理穂に何の関係がある?」

有川の言葉に隆一は気色ばむ。

「お前と離婚したとはいっても、麻里が理穂ちゃんの母親であることには変わりない。そういう意味では一生何らかの形でかかわっていかなければならないんだ。憎み合っているよりは、関係を良くしたほうがましだろう」
「理穂がお前に何か言ったのか?」

隆一は有川にいぶかしげな眼を向ける。

「まさか……理穂ちゃんにとって俺は母親を奪った男だ」

隆一は次に麻里に視線を向けるが、麻里も首を振る。

「有川」
「なんだ」
「今回このホテルで俺たちに会ったのは、本当に偶然か?」
「もちろんそうだ」
「さっきお前は、俺の行動はだいたい予想が出来るといっただろう」
「どこに旅行して、どのホテルに泊まるなんてことまで予想できるもんか」

有川がおかしそうに笑う。

「ただ、T県に旅行するのにどこの宿がいいと麻里に尋ねたら、このホテルがいいと麻里が答えたのでここを選んだのは事実だ。麻里はお前と一緒に泊まったんだろうと思った。それとさっきも言ったが、俺とお前は昔から考え方も行動も似ていたからな。いつかこんな風にばったり出会うんじゃないかと思っていた」
「ふん……」

隆一は何か考えるような顔付きをしていたが、やがて微笑して有川の方を向く。

「俺とお前は似ていないところもあるよ」
「なんだ」
「俺は不倫はしない」

隆一はそう言うと有川の目をまっすぐ見る。有川は一瞬気圧されたような表情をしていたが、すぐに声を上げて笑い出す。

「こいつは一本とられたな。まあそれくらいで勘弁してくれ」

有川がさも楽しそうに笑うと、隆一も釣られて笑い出す。どうなることかと見守っていた江美子も、ほっと胸をなでおろす。麻里は少し居心地の悪そうな表情でもじもじしている。

「それじゃあ今晩が記念すべき和解の第一歩というわけだ。幸い4人とも風呂の中だし、これから裸と裸の付き合いをお願いするには丁度いい」
「あなた……」

麻里が再び有川をたしなめる。
桐 10/13(土) 10:42:00 No.20071013104200 削除
「なんだ、麻里」
「調子に乗りすぎです。江美子さんもいらっしゃるのに」
「江美子さんがいるからこそ聞いてもらった方がいいんじゃないか」
「それは……それこそ隆一さんと江美子さんにお任せしないと」
「麻里は俺たちが以前のように心を開いて付き合うことに反対なのか」

江美子は、有川が「麻里」と呼ぶいうたびに隆一の心がほんの少しだけ揺れるのが、お湯を通じて伝わってくるような気がした。

「反対じゃありませんわ。そう出来ればどんなに良いか。でも、私からそれを言い出す資格はありませんでした」
「そう思うなら麻里が率先して見本を示せ」
「えっ」
「バスタオルで隠してなんかいないで、裸をさらせといっているんだ」
「でも……」

麻里は明らかに戸惑いの表情を浮かべる。

「どうしたんだ、俺にも北山にも何度も見せた裸だろう。今さら恥ずかしいことがあるのか」
「それとこれとは……違います」
「麻里、お前が一番罪深いんだ。だから真っ先に心を開かなきゃいけない。俺たち二人を散々翻弄したんだからな」
「翻弄だなんて……そんな」
「愚図愚図言わずに裸になるんだ。こんな風にな」
「きゃっ」

有川はいきなり腰の周りを覆っていたタオルを外す。透明な湯の下の怒張を一瞬目にした江美子は小さな悲鳴を上げて隆一の肩に顔を隠す。

「江美子さん、どうしました。こんなことで恥ずかしがるほどカマトトじゃないでしょう」
「有川、いい加減にしろ」
「俺は身も心も裸になろうと言っているだけだ。それも別に往来で素っ裸になろうと言っている訳じゃない。ここは混浴の露天風呂だぞ。お互いが裸をさらすのは納得ずくじゃないのか」
「しかし……」
「わかりました、私……」

麻里はそう言うと身体からタオルを外す。真っ白な麻里の素肌が露わになる。

隆一にとっては五年ぶりに見る麻里の見事なまでの裸身である。隆一の肩に顔を埋めていた江美子は、隆一の息遣いの変化を感じ、顔を上げる。

(隆一さん……)

隆一が透明なお湯を通して見る麻里の裸身に目を奪われていることに、江美子は突然激しい嫉妬を感じる。また、さきほどから三人の間に流れている、愛憎の交じった激しい感情から自分だけが疎外されていることに苛立ちを感じた江美子は、まるで麻里に挑戦するように身体を覆ったタオルを外す。

「ほう……」

江美子の素っ裸を目にした北山は感嘆したような声を上げる。

「こうやって風呂の湯を通して見ても、見事な裸だ。北山が夢中になるのも無理はない」

その言葉でやはり先ほどの隆一との痴態を目撃されていたのだと知った江美子は、かっと身体が熱くなる。

「あなた……そんな言い方は……」
「失礼だというのか? 俺は江美子さんを誉めているんだ。折角目の前で裸を見せてくれているのに、何も言わないでジロジロ見ている方がよほど失礼だろう」
「露天風呂で他の客の裸をジロジロ見る方が失礼だというんだ」

隆一が苛立ったように口を挟む。

「相変わらず正論だな、北山。その点は俺とお前が似ていないところだ。俺はいつでも自分に対して正直だ」
「どういう意味だ」
「お前だってさっきから麻里の裸に見取れているじゃないか」
「見取れてなんかいない」
「嘘をつけ。それならその証拠を見せてやる。腰のタオルを外してみせろ」

有川はそう言うと隆一が腰に巻いたタオルを指さす。
桐 10/14(日) 14:15:59 No.20071014141559 削除
「お前だけだぞ。まだ身体にタオルを巻いているのは。素っ裸になっている女性陣に失礼じゃないのか」
「……」

有川のペースに乗せられていることを感じる隆一は苦々しい表情をしていたが、やがて腰に巻いたタオルを外す。堂々とばかりに屹立した隆一の怒張が現れ、正面にいた麻里はひっ、と小さな悲鳴を上げる。

「ほう、相変わらず見事なもんじゃないか」

有川はニヤニヤしながら隆一のその箇所を見ている。

「一緒に風呂に入るたびに、お前のそれには度肝を抜かれたもんだ。普段でも普通の奴が大きくなったくらいはあるからな」

有川はそう言うとちらと麻里の方を見る。

「麻里、どうだ、懐かしいだろう。元の亭主のチンチンは」
「あなた……いい加減にして」
「何を気取っているんだ。久しぶりにお前の裸を見てあんなに大きくなったんだ。うれしいとは思わないのか」

有川はそう言いながら麻里を引き寄せる。

「あなた、駄目っ」
「別に北山だけじゃない。奴ほどじゃないが俺のもなかなかのもんだろう」

有川はそう言うと湯の下から腰を突き出すようにする。赤黒い亀頭がまるで生き物のように表面に顔を出したので江美子はきゃっ、と悲鳴を上げる。

「有川、悪趣味だぞ」
「そんなことを言っても説得力はないな。麻里のあそこを見て堅くしやがって」

有川は声を上げて笑う。

「そう言う俺も人のことは言えん。江美子さんが素っ裸で悩ましい声を上げながら、お前の膝の上で悶えているのを見たせいで、この風呂に入る前からカチカチでな。タオルで隠すのが大変だったぜ」

江美子はあまりの羞恥にこの場から消えたくなる。しかし、湯から出ようとすると再び素っ裸を有川の目に晒さなければならない。その思いが江美子の手足を縛り付けるようにしているのだ。そして江美子をこの場に留めているもう一つの理由がある。

(隆一さんを置いて自分だけが逃げる訳にはいかない)

自分がこの場から去ると、当然隆一は着いてくるだろうが、それでは有川から逃げることになるのではないのかという思いが江美子にはするのだ。

有川が本当に隆一と和解したがっているかどうかは疑問だ。しかし、隆一が麻里とのことを気持ちの上でふっ切れていないのは事実ではないのか。この場から逃げれば、その機会は遠のいてしまう。江美子が隆一と、そして理穂と新しい家族を創るチャンスが手の中からこぼれ落ちてしまうような気がするのだ。

「麻里、来い」
「えっ」
「隆一に仲の良いところを見せつけてやるんだ」

有川は麻里を強引に抱き寄せると唇を奪う。有川のいきなりの行為に麻里は反射的に抗う。麻里の短めの黒髪がはらりと揺れ、額にかかる。

「やめて……あなた」
「何を気取っているんだ。ゆうべは俺の上に跨がってヒイヒイ泣いたくせに」
「江美子さんの前で……なんて事を」
「隆一の前は気にならないのか」

隆一は顔を強張らせながらも、その視線は有川と麻里の痴態に注がれている。そんな隆一に、江美子は胸の奥が痛むような嫉妬を知覚する。

有川は麻里の口を強く吸いながら、湯の下で乳房を荒々しくまさぐっている。江美子は、そんな傍若無人とも言える振る舞いをしている有川の目に焦燥めいた色が浮かんでいることに気づく。

(有川さんは怖がっているのではないか)

再び麻里が自分から去って隆一の元に戻るのではないかと恐れているのだ。有川がずっと麻里のことを愛していたというのは恐らく本当なんだろう。

学生時代に麻里を隆一に奪われた有川は、それが罪になると知りつつ麻里を奪い返した。しかし、麻里は隆一と離婚してからも、家庭を壊したことに対する後悔、特に娘の理穂に与えた心の傷に対する罪悪感から、有川と結婚することはなかった。
桐 10/14(日) 14:16:30 No.20071014141630 削除
罪を犯しながらも麻里を手に入れることが出来なかった有川は、いつか再び麻里が自分の元から去るのではないかと脅えている。そんな有川にとって、隆一が再婚したということは朗報だっただろう。

(やはり有川さんは、なんらかの手段を使って私たちがここに泊まるのを知って、待ち伏せしていたのでは…)

理穂が何らかの機会に、いまだある程度の交流を持っている麻里の父親──理穂の祖父に、この週末の隆一と江美子の不在を知らせたのかもしれない。

(いえ、今はそんなことはどうでもいい。隆一さんが麻里さんと復縁するのを望まないということでは、私と有川さんの利害は一致しているのだ)

江美子は湯の下で手を伸ばし、隆一の手を握る。隆一がしっかりと握り返してきたのを確認した江美子は、裸身を摺り寄せるようにする。隆一は江美子の方に顔を向けるとこくりと頷く。

「有川、やめろ」

隆一の声に有川は、麻里を愛撫する手を止める。

「そんなことをしなくても、俺はもう麻里には未練はない。お前の言うとおり、もうこだわりは捨てよう」
「本当か」
「本当だ、まあ、すぐにすべて元通りというわけにはいかないが」
「……」
「ただ、俺の前で麻里のそんな姿を見せないでくれ。あまり気分がいいものではない。俺もお前に対して、それだけはしなかったはずだ」

有川は虚を衝かれたようなような顔つきをしていたが、やがて苦笑を浮かべる。

「……そうだな。それは北山の言うとおりだ。悪かった」

有川は神妙に頭を下げる。

「江美子さんにも申し訳ないことをした」
「いえ……」
「せっかくの水入らず──風呂の中で水入らず、っていうのもなんだかおかしいが──のところを失礼した。俺たちは先に上がるよ」

有川はそう言うと麻里の方を見て、「いくぞ」と声をかける。

麻里は湯の中でタオルを身体に巻き、隆一に一礼し、江美子に向かって「江美子さん、ごめんなさいね」と声をかける。

「いえ、いいんです」

江美子はほっと胸をなでおろす。

有川はタオルを腰に巻きながら立ち上がり、麻里の手を引くと隆一に顔を向ける。

「それじゃあ、ゆっくりしていってくれ、ってまあこれも俺が言うせりふじゃないのかもしれないが」
「ああ」

最後に麻里がもう一度隆一と江美子にお辞儀をする。バスタオルから白い乳房がこぼれそうになっているのが江美子の目にまぶしく映る。有川は麻里の腰に手をまわすようにしながら、脱衣所の方へ歩いていった。

隆一は無言で二人の後ろ姿を見送っている。有川と麻里が完全に見えなくなったとき、江美子が隆一に声をかける。

「隆一さん……」
「ああ」

隆一はそこで改めて江美子の存在に気づいたような顔をする。

「江美子にはおかしなことに巻き込んでしまって、悪かったな」
「いえ、いいんです……でも……」

江美子は再び隆一の手を握る。

「これからまた、有川さんと以前のような友達付き合いをするんですか?」
「まさか」

隆一は微笑を浮かべる。
桐 10/15(月) 21:17:36 No.20071015211736 削除
「でも、さっき、隆一さんはこだわりを捨てると……」
「有川がそういって欲しそうだったからそういっただけだ。そうしないとあいつは、いつまでも俺たちに付きまといかねないからな」
「それじゃあ……」
「有川のほうも俺ともう一度昔のような友達づきあいを再開したいなんて思っていないよ」

隆一は江美子の手を握り返す。

「それに、別れた女房に目の前で裸でうろうろされるのも真っ平だ。江美子だけで十分だよ」
「まあ」

江美子は大きな目を丸く見開く。

「あいつらのせいで少しのぼせた。もう部屋に帰ろうか」

隆一はそう言うと江美子を促し、湯船の中で立ち上がった。江美子も釣られて立ち上がる。

「あっ」

江美子は自分がまだタオルも巻いていない全裸だったことに気づく。あわててバスタオルを取ろうとする江美子の手を隆一が押さえる。

「そのままで」
「えっ」
「そのまま、そこに立ってくれ」

江美子は頷くと、隆一に言われるままに立つ。火照った身体に夜気が心地よい。

「もう……いいでしょう」
「もう少し、お願いだ」

素肌に隆一の熱い視線を感じ、羞恥に駆られた江美子は目を閉じる。

(麻里さんと比べているのか……)

江美子は隆一の心の中を推し量る。

(それとも、私の裸を目に焼き付けることで、麻里さんの姿を忘れようとしているのか)

時間にするとほんの数十秒のことだったかもしれない。しかし江美子にとっては数十分とも感じられる時が過ぎ、ようやく隆一は口を開いた。

「もういい、ありがとう」

江美子は崩れる落ちるように隆一の腕の中に倒れ込む。

「すまん、のぼせてしまっただろう」

江美子は黙って首を振ると、隆一にしがみつきながら唇を求める。二人は全裸で湯船の中で立ったまま、長い接吻を交わすのだった。


「あっ、ああっ、りゅ、隆一さんっ」
「江美子っ」
「も、もうっ、お願いっ。来てっ」

江美子は隆一の上に跨がったまま、ひきつったような悲鳴を上げる。隆一が「うっ」と呻きながら緊張をとくと、江美子はそれを待ち兼ねたように全身を激しく痙攣させる。

「あ、あああっ!」

傷ついた獣のような声を張り上げながら江美子は絶頂に達すると、隆一の胸の上に崩れ落ちる。

「江美子」

隆一は荒い息を吐きながら江美子の背中に手を回す。

「顔を見せてくれ」

江美子は隆一の上に伏せたままの顔を嫌々と小さく左右に振る。
桐 10/15(月) 21:18:58 No.20071015211858 削除
「お願いだ」

隆一が力を入れて、江美子を引き起こす。江美子はされるがままに胸から上を持ち上げられて行く。江美子のとろんとした視線が隆一の視線と交差する。

「江美子がいった時の顔だ」
「嫌……」
「いつもはいかにもキャリアウーマンといった雰囲気の江美子も、こんな顔をするのか」
「隆一さんの意地悪……どうしてそんなことを言うの」

江美子が恥ずかしげに顔を逸らそうとするのを隆一が軽く押さえ、唇に接吻を施す。

「気持ち良かったかい」

江美子は微かに頷く。

「気持ち良かったと言ってみろ」
「嫌……そんなこと、言えないわ」

江美子は再び小さく首を振る。

どうしたのだろう、今夜の隆一は少しおかしい。いつもはもっと紳士的、といえば聞こえはいいが淡泊なセックスである。こんな風に江美子に対して言葉責めをするようなことはなかった。

(でも、今夜のような隆一さんも嫌いじゃない)

江美子はそんな自分の思いのはしたなさに思わず頬を染める。

「そろそろ……外さないと」

江美子はしばらく隆一との行為の余韻に浸っていたい気持ちはあったが、このままでは隆一のものが江美子の中で萎えてしまう。一度江美子から抜く時に、コンドームだけが取り残されてあわてたことがあった。隆一との子供はいずれ欲しいが、仕事が忙しい今はまだその時ではないと思っている。

微かに身体を揺らせながら離れようとする江美子の尻を、隆一がしっかりと押さえ付ける。

「えっ」

戸惑いの声を上げる江美子を突き上げるように、隆一が再び腰を動かす。

「あ、あっ……」

確かに一度放出したはずなのに、隆一の肉塊はほとんどその硬度を保ちながら江美子の中で暴れ始める。身体の中の官能の燠火が再び燃え盛り、江美子を焼き尽くして行く、

「あっ、こ、こんなっ」

江美子が奔馬のように隆一の上で撥ね動く。江美子は隆一に手を取られるようにして、今夜二度目の頂上へと駆け上がって行くのだった。


江美子は隆一とともに露天風呂の中で再び有川と麻里の二人と向かい合っていた。全裸の二人はまるで江美子に見せつけるように戯れあっている。前回は言葉少なだった麻里がまるで隆一と江美子を挑発するような視線を送りながら、有川に対して積極的に振る舞っている。

「ねえ、あなた、ここで抱いて」

麻里はそう言いながら豊満な尻を動かし、有川の膝の上に跨がる。有川の巨大な男根が麻里の股間をくぐり、深々と秘奥に突き刺さる。

「ああっ、い、いいわっ」

麻里は歓喜の悲鳴を上げ、腰部をブルブルと震わせる。江美子は隣にいる隆一の手をぐっと握り締める。

麻里は淫らに腰を動かし始める。有川は麻里の動きに合わせるように、背後から麻里を責め立てる。

「あ、ああっ、き、気持ちいいっ」

江美子が思わず目を背けようとすると、麻里の叱咤するような鋭い声が飛ぶ。
桐 10/16(火) 22:48:51 No.20071016224851 削除
「江美子さん、見るのよっ」

再び前を向いた江美子は、視界に飛び込んで来た恐ろしい光景に恐怖の悲鳴を上げる。輝くような白い肌の麻里をしっかり抱き締めて背後から貫いているのは有川ではなく、隆一だった。

「江美子さん、教えて上げるわ、隆一さんから愛される方法を。よく、見ているのよ」

麻里はそう言うと甘い舌足らずな喘ぎ声を上げながら、隆一の上で腰をゆるやかに蠢かせる。

「ああ……あなた……気持ち良いわ……ああ、たまらない……」
「やめてっ」

思わず耳を塞ごうとする江美子の手が背後から押さえられる。振り向くとそこにはいつのまにか素っ裸の有川がいた。

悲鳴を上げて逃れようとする江美子を有川がしっかりと羽交い締めする。

「りゅ、隆一さんっ、た、助けてっ」

江美子は有川の男根が蛇のように股間をくぐって秘奥に迫ってくるのを感じ、隆一に助けを求める。しかし隆一は江美子の声など全く聞こえない風に、麻里とつながりながら熱い接吻を交わし合っているのだ。

「隆一さんっ」

長い接吻を終えた麻里は江美子に挑戦的な視線を向ける。

「江美子さん、おとなしく有川さんに抱かれなさい」
「そ、そんなっ」
「そうすれば私達、もっともっと仲良くなれるのよ」
「い、嫌っ。嫌よっ」

激しく身悶えする江美子の裸身をしっかりと抱え込んだ有川の肉棒の先端が、ついに体内に侵入した時、江美子はつんざくような悲鳴を上げた。


布団の上に跳ね起きた江美子は枕元の時計を見る。和風の客室にふさわしくない、淡い緑色の光を放つデジタルの時計は午前五時を指している。隣の布団では隆一が軽い寝息を立てている。

(夢……)

全裸のまま眠っていた江美子は、洗面所へ行くと汗ばんだ身体をタオルで拭く。

(なぜあんな夢を)

昨夜の出来事が心の中に引っ掛かっているせいだろうか。終わったはずの隆一と麻里の関係に、私はやはり嫉妬しているのだろうか。

(でもどうして私が有川さんと)

夢の中とは言え有川にしっかりと抱きすくめられ、肉のつながりを持ちそうになった江美子は、なにか隆一に対して裏切り行為を犯したような気になった。

(シャワーを浴びようかしら、それとも……)

江美子は裸のまま部屋に戻る。先ほどは静かな寝息を立てていた隆一が、胸元まで布団をはいで苦しげに身体を捩らせていた。

「隆一さん」

江美子は隆一の枕元にしゃがみこむと、布団を直す。隆一の寝息が静かになっていく。

(隆一さんも夢を見ているのかしら)

そう江美子が思った時、寝返りを打った隆一の絞り出すような声が聞こえた。

「麻里……」

その言葉を聞いた江美子はしばらくその場に凍りついたように座り込んでいたが、やがて立ち上がり、浴衣を羽織ると浴室へと向かった。
桐 10/16(火) 22:51:14 No.20071016225114 削除
江美子はTホテルの室内にある大浴場へと向かっている。男女別の大浴場は時間ごとに切り替えられており、早朝のこの時間では、女湯は江美子が昨日の夕方入ったものよりは小さ目となる。

いまだ午前五時過ぎとあって浴室の中には誰もいなかった。江美子は湯に浸かると身体を伸ばし、昨日からの出来事について考える。

(誰にでも過去はある。いちいちこだわっていてはきりがない)

江美子はそう自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせようとする。

あんな風な形で先妻の麻里と再会したのだ。隆一の心が乱されないはずがない。しかし隆一と麻里とは五年前に終わっているのだ。

(それに私にだって──)

そこまで考えたとき、隆一の苦しげな声が江美子の耳の中に蘇る。

──麻里。

隆一は夢の中で、自分から背を向けて去っていく麻里に呼びかけていたのか。それとも、有川に汚された身体を浄めてやろうとばかりに、荒々しく麻里を抱いていたのか。

江美子が考えに耽っていると扉が開き、人が入ってくる気配がした。

「あら」

声に振り向くと、タオル一枚で前を隠した麻里だった。麻里は微笑して江美子に会釈をすると身体を流し、湯船の中に入ってくる。

「よくお風呂の中で会いますね。これで三度目かしら」
「ええ……」

二度目は有川の計算に隆一が乗せられたことが原因だが、それにしても度重なる偶然に江美子は戸惑う。

江美子の目に麻里の白い肌が映る。先程よりも心なしか艶を帯びているようで、女の江美子の目にも官能味が感じられる。

江美子が隆一に抱かれたように、麻里も昨夜、有川の腕に抱かれたのだろうか。隆一が江美子を抱いている同じ夜、同じホテルで先妻が別の男に抱かれている──そんな状況が江美子には何か極めて背徳的なことに感じられ、頬が熱くなる。

少し淡いピンク色に火照った肌を、江美子がぼんやり見ていることに気づいた麻里は、邪気のない微笑を浮かべて話しかける。

「昨夜はごめんなさい。有川さんがおかしなことを仕掛けて──」
「……いえ、いいんです」

江美子は麻里に微笑を返す。

「あの人、隆一さんが怖いんです」
「怖い?」
「私がまた、隆一さんの元へ戻るのではないかと……」
「……」

やはり、と江美子は納得する。

「そんなことはないと何度言っても納得しなくて。昨夜も私は随分止めたんですが──でも、隆一さんが大人の対応をしてくれたおかげであの人も気持ちが落ち着いたみたいで、助かりました」
「そうですか……」
「学生時代はむしろ逆で、有川さんが陽性でいつの落ち着いていて、みんなのまとめ役のようなキャラクターでした。隆一さんはどちらかというと陰性で、理屈っぽくて頑固でな人でした。私はそんな隆一さんの子供っぽいところが好きだったのですが──」

そこまで言って麻里は口をつぐむ。

「ごめんなさい──私、また余計なことを」
「いえ、かまいません。私が知らない隆一さんの一面を知ることが出来て、むしろ嬉しいです」
「そうですか」

麻里は再び微笑む。

「でも、隆一さんも余裕が出てきた、という感じがしてよかったです。これも江美子さんと一緒になったおかげね」
「そんな、私なんか何の力にも……」
「私なんか全然進歩がなくて恥ずかしいわ。いつまでも同じところをぐるぐる回って──そろそろしっかり前へ歩き出さないと」
「……」
「江美子さん、変な話だけれど、これからも友達になってくださらない?」
「えっ……」

麻里の申し出に江美子は一瞬戸惑う。
桐 10/17(水) 21:31:04 No.20071017213104 削除
「私は有川さんとのことでそれまでの人間関係のほとんどを失ってしまったの。今付き合いがあるのが、仕事関係と、学生時代からの友達のうちほんの少数。これはもちろん自業自得なんだけれど」
「私はやはり理穂のことが心配なの。理穂が私と暮らすのを拒んだのは、私を失う隆一さんに、自分だけでもついていてあげようと思っていたから」
「理穂ちゃんは、自分を実質的に育ててくれたお祖母様を考えていたのでは――」
「あの子が一番考えているのは父親のことよ。小さいころから将来の夢はパパのお嫁さんだって、今でも本気でそう思っているんじゃないかしら」
「そうなんですか」

中学二年という年頃によくあることだと思うのだが、理穂も隆一とはふだんあまり会話はない。むしろ女同士ということで江美子とより話すくらいである。そんなことを告げると麻里は大きく頷く。

「理穂のためにも江美子さんとお友達になりたいの。これから理穂もだんだん難しい年頃になっていく。だけど私の立場では理穂のそばについていて上げることは出来ない。ふだんのことは江美子さんにお任せせざるを得ないわ。また、その方がうまくいくと思う」
「それでも、私は九歳の時まで理穂を育てた母親ではあるのよ。江美子さんが理穂のことで悩んだ時に力になってあげられると思う。いえ、本音を言うと理穂とほんの少しでもつながっていたいのよ。こんなことを江美子さんにお願い出来る筋合いのことではないのだけれど」
「麻里さんの気持ちはよく分かります」

江美子は頷く。理穂は隆一の気持ちを思いやって両親の離婚以来麻里との面会を拒んでいるが、本音では母親を慕う気持ちもあるのだろう。自分が理穂と麻里の橋渡しをすることで、理穂の気持ちが癒されるのなら
いいことではないか。

いや、江美子が麻里の願いを受け入れようと思ったのはそれだけではなかった。これによって江美子は、自分の目の届かないところで理穂が麻里と連絡をとることを阻むことが出来る。麻里が理穂を通じて隆一に再び近寄るのをブロックすることが出来るのだ。

――麻里

先ほど隆一が発した苦しげなうめき声が再び蘇る。

「わかりました、私の方こそお願いします」

江美子は麻里の申し出を思わず受け入れていた。

「そう、嬉しいわ」

麻里は柔和な微笑みを江美子に向ける。

(悪い人じゃないんだ。それはそうだろう、隆一さんが一度は選んだ女性で、理穂ちゃんのお母さんなんだもの)

風呂から上がり、脱衣所の化粧台に座っている江美子は、改めて隣の麻里を見る。鏡に映っている木目の細かい白い肌も羨ましいほどだが、艶やかな黒髪が江美子の目を奪う。

「どうしたの、江美子さん」
「いえ……」

江美子は麻里の潤んだような目で見つめられ、一瞬どぎまぎする。

「麻里さんの髪、素敵ですね」
「あら、どうもありがとう」

麻里が小さく笑う。

「でも、江美子さんも素敵よ。よく似合っているわ」
「私は肌が黒いから、黒髪が似合わないんです」

江美子の髪は明るい栗色である。

「そんなことないわよ。黒くしても素敵だと思うわ」
「そうですか……本当は今は営業店勤務なので、もっと髪を黒くしろと言われているんですが」
「江美子さんは隆一さんと同じ銀行だったわね。あそこはそういったことはわりと自由だったんじゃなかったかしら」
「合併してからはそうでもないんです。それでも、本部にいる時はうるさく言われなかったんですけど」

江美子はそう言うと苦笑する。

「そうなの……」

麻里は軽く首をかしげる。

「今度、私が知っている美容院を紹介するわ。とても腕が良いのよ。値段もそれほど高くはないわ」
「でも……」
「大丈夫、ただの友達としか言わないから。好奇心の籠った目で見られることはないわ。きっと江美子さんにぴったりのものを提案してくれると思うわ」
「そうですか、ありがとうございます」
「そうだ、江美子さん。お友達になったのだから、メールアドレスを交換しなくちゃ」

麻里はそう言うと、化粧台におかれたホテルのサービスに関するアンケートのためのメモ用紙を一枚取り、自分のメールアドレスを書く。

「私、自分の携帯のアドレス、覚えていないんです」

メモを差し出す麻里に、江美子が困ったように告げる。

「あまり使わないのね。いいわ、後でこのアドレスに短いメールをくれればいいから」

麻里はそう言うと立ち上がり、浴衣を羽織る。

「それじゃあ江美子さん。これからもよろしくお願いします」

麻里は一礼して脱衣所を出る。麻里の瞳の中に一瞬、夢の中で見た妖艶な色を見たような気がした江美子は、手のひらの中に残ったアドレスを記したメモに目を落とす。
桐 10/17(水) 21:33:00 No.20071017213300 削除
旅行から帰った江美子がやや重い気持ちで麻里に短いメールを打つと、麻里からはすぐに返事が来た。例の美容室に既に話をしておいたというものであり、担当の美容師の名前まで記されていた。

(やはり、少し面倒な約束をしてしまったかしら)

江美子は妙に手回しのよい麻里のメールに微かな煩わしさを感じるが、すぐに思い直す。自分が間に入ることによって麻里を隆一に近づけない意図もあったが、江美子の本来の目的は隆一と麻里の別れの真相を知ることにあった。

麻里が言う通り非は全面的に麻里にあるのか、それとも隆一が言うように隆一にも責任があるのか、これから江美子が隆一と結婚生活をおくっていく限り、それは是非知っておきたいことだった。

もちろん以前はさほど気にならなかったことである。しかしその時点では江美子はぼんやりと先妻の麻里のことを、娘の理穂からも見放された典型的な悪妻というイメージを抱いていたのだ。

しかし今回の旅行で会った麻里の印象は決してそうではなかった。女の江美子から見ても麻里は魅力的な女性である。その麻里がどうして隆一から去り、有川のもとへ走ったのか。それは江美子にとっても気になることであった。

(どうせならさっさとすませてしまおう)

美容院にはいずれ行かなくてはならないし、麻里の言う通り腕が良いというならそれに越したことはない。麻里は美容院に電話を入れると、土曜の午前中に予約を入れた。当日の朝、隆一と理穂に「美容院に行った後、友人とお茶を飲んでくる」と言い残し、家を出た。

美容院は横浜駅の近くにあった。名前を告げると四十歳くらいの女性の美容師が歩み寄り「いらっしゃいませ、中条様より伺っております」と頭を下げる。

「どのようにいたしましょうか」
「えーと……」

江美子は言葉に詰まる。江美子はお洒落をしたいという気持ちはあるのだが、どうやったら良いのかが今一つ分からない。現在のヘアスタイルもカラーに合わせて以前の美容師から勧められたものである。

髪を黒っぽくしなければならないということだけを告げて、江美子は美容師の提案に任せることにする。美容師は「かしこまりました」と頷き、作業にかかる。

カラーも含めてなのでかなりの時間がかかる。持参した文庫本を読んで時間をつぶしていた江美子だったが、つい日頃の疲れからかうとうとする。はっと目覚めた時には江美子の髪は仕上げの工程にかかっていた。

「いかがでしょうか」

鏡に映った自分の姿に江美子は少し驚く。前髪にボリュームをつけた黒いショートヘアは少しクラシックな印象があるが、それが江美子のはっきりした顔立ちによく似合っていた。

「『麗しのサブリナ』みたいでしょう」

美容師が微笑みながら江美子に話しかける。

確かに、昔テレビで見た映画でオードリー・ヘプバーンが演じていたヒロインに似ている。ヘプバーンと自分を比べるのはまったくおこがましいが、はっきりした顔立ちの自分には確かに似合うかもしれない。

江美子が危惧していたのは、麻里と同じヘアスタイルにされるのではないかということだった。しかし黒のショートということでは麻里と共通点があるが、全体のイメージは随分違っていたため、江美子はほっと安心する。

「いいですわ、気に入りました」

江美子がそう言うと、美容師は「よくお似合いですよ」と微笑しながら頷く。

新しい髪形に満足した江美子は一時的に気分が高揚したが、美容院を出て、これから会わなければならない相手のことを考えるとたちまち重苦しい気持ちになる。東横線で渋谷に出た江美子は駅から歩いて5分ほどの場所にあるホテルの喫茶室で相手を待つ。

待ち人は約束の時間から10分ほど遅れてやってきた。昔から一度として時間を守ったことがない。始めのうちは江美子も随分苛立たせられたものだが、やがて慣れっこになった。

男はしばらく江美子に気がつかない様子で、きょろきょろと辺りを見回している。やがて江美子を認めた男は少し驚いたような顔をするとすぐにニヤリと口元に笑みを浮かべ、大股で近づいてくる。
桐 10/18(木) 21:20:17 No.20071018212017 削除
「久しぶりだな、江美子。もう5年になるかな」

その男──水上孝之は立ち上がった江美子に手を差し出す。江美子が握手に応じないのを見て苦笑しながら向かい側の椅子に腰をおろす。

「髪形を変えたのか?」

ウェイトレスにコーヒーを注文した孝之は笑みを顔にはりつけながら尋ねる。

「そりゃあ5年もたてば、髪形だって変わります」
「いや、違うな。それは美容院に行ったばかりの髪だ。俺のためにお洒落をしてくれたのか」
「……」
「俺はそういったことには敏感なんだ。特に江美子のことについてはな」
「関係ないわ、それに私を呼び捨てにするのはやめて」

江美子は低い声で孝之に告げる。

「水臭いことを言うな。新しい髪を亭主の前に、俺に見せてくれるくらいだ。まだ俺たちは気持ちの上では繋がっているんじゃないか」
「馬鹿なことを言わないで」

今年で38歳になるはずの孝之だが、少し頬の辺りにたるみは見えるが、まあ端正といって良い顔である。江美子もその孝之が誰よりも素敵だと感じたこともあった。そう、今から7年程前までは──。

江美子が孝之と出会ったのは今から7年前。まだ江美子が26歳の頃である。当時31歳だった孝之と江美子は、各銀行の為替ディーラーが集うセミナー懇親会で出会った。

当時、ある外銀の花形ディーラーであり、セミナーの講師まで勤めた孝之にその後の懇親会で声をかけられ、江美子の気持ちは高揚した。為替取引の第一線で活躍する孝之の話は刺激的であり、会話を交わしていると江美子は自分が高められるような気がするのだった。積極的にアプローチしてくる孝之と江美子が付き合い始めるまで、それほど時間はかからなかった。

江美子が孝之との結婚を意識し始めたのはそれから1年ほど後である。なかなかプロポーズをしない孝之に、ある日ベッドの中で江美子がそれとなく結婚のことをほのめかしたとき、江美子は驚くべき事実を孝之から聞かされた。

孝之には結婚して4年になる妻と、もうすぐ2歳になる娘がいるということである。

迂闊にも江美子は、それまで孝之が結婚しているということにまったく気がつかなかった。孝之自身もはっきりとは言わなかったが、一人身だということをそれとなくほのめかしていたからすっかり安心していたのである。

「俺は一人暮らしをしているとは言ったが、結婚していないとはひとことも言っていないよ」
「そんな……」

事実を知って呆然としている江美子に対して、孝之は平然と言ってのけた。24時間体制で仕事をしなければならない為替ディーラーという職業上、孝之は郊外にある自宅以外に都心にワンルームのマンションを借りていたというのである。

「だって孝之は、自分には家族はいないって……」
「それは比喩的な表現だ。家族はいないようなもんだ、という意味だ」

孝之はそう言うとにやりと笑った。

「まあ、江美子はそんなことは気にすることはない。今までどおりの関係を続ければ良いんだ」
「今までどおりって……」
「いわば江美子は月曜から金曜までの俺の妻、いや、自宅に帰るのはせいぜい月に一、ニ度がいいところだから、ほとんど俺の妻同然といってもいい。たまに自宅に帰るときには、俺の戸籍上の妻が現実にも妻になるというわけだ。つまり俺には妻が二人いる、っていうことになるか」
「馬鹿にしないで」

憤然としてベッドから出ようとする江美子の肩を孝之が押さえつける。

「やめて」
「江美子が制度上の結婚にそんなにこだわっているとは思っていなかった。もっと進んだ女だと思っていたがな」
「騙したことが問題なのよ」
「さっきも言ったが、騙したつもりはない。江美子が勝手に思い込んだだけだ」
「詭弁はやめて」
桐 10/18(木) 21:21:37 No.20071018212137 削除
「俺と別れるつもりか」
「当たり前でしょう。知らなかったとはいえ、私、不倫の罪を犯したのよ」

そう口にしてから、江美子は改めて自分の犯した罪の恐ろしさに、裸身をブルッと震わせる。

「不倫なんて大げさことを言うな」
「だって、誰が見たってそうでしょう」
「江美子は俺が結婚していることを知らなかったわけだから、不倫にはならない」
「今は知っているわ」
「妻との関係はもうほとんど破綻しているんだ。家に帰っていないのは仕事が忙しいだけじゃない」

孝之はそう言うと、江美子の肩を後ろから抱きしめる。

「嘘よ」
「本当だ。娘が出来てからというもの、妻は俺に対する関心が全くといっていいほどなくなった。俺が家に帰っても居場所がないんだ」
「それは孝之さんと奥様で解決すべき問題よ」
「何度も話したが、まったく聞く耳を持たない。俺には江美子が必要だ。江美子がいないと生きていく甲斐がない」
「駄目よ。不倫なんて、絶対に出来ないわ」
「不倫にならないようにする。妻とは別れる。きちんと慰謝料も養育費も払って綺麗に別れるから、俺から去らないでくれ」
「ああ……」

江美子は孝之を振り払って部屋から出ようとしたが、孝之の腕にしっかりと抱きすくめられるとなぜか力が入らない。

「愛している……江美子……本当だ……俺が愛しているのは江美子だけだ」
「……」
「妻との結婚は間違いだった。俺に人生をやり直させてくれ」

孝之にうなじに接吻を注ぎ込まれると、たちまちそこから力が抜け、江美子は再びベッドの上に倒れこんでしまう。

「どうしても別れるというのなら最後にもう一度だけ、江美子を愛させてくれ」

孝之はそう囁くと、江美子を抱きしめるのだった。

なぜ自分はあんなに愚かだったのか。そこにあったのは未練か、愛情か。結局その時、江美子は孝之と別れることが出来なかったのである。

孝之との関係はその後1年にわたってずるずると続いた。その間何度も江美子から別れ話を持ち出してはその度に孝之は、泣き落としを交えた巧みな口説きで江美子を繋ぎとめた。

しかしそんな江美子もついに孝之に対して引導を渡すときが来た。ある日、江美子は内緒で孝之の自宅へ出向いた。孝之の妻や娘に対する罪悪感に耐えられなくなり、せめて彼女たちが平穏な暮らしをしているかどうを確かめたかったのである。

そこには江美子にとって驚くべき光景があった。自宅の玄関から現れた孝之の妻は明らかに懐妊していたのである。マタニティウェアの下に膨らんだ腹を隠し、3歳になったばかりの可愛い娘の手を引きながら買い物に向かう幸せそうな孝之の妻を見た江美子の心の中で、何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。江美子はその日の夜、孝之に対して別れのメールを送ると、その後いっさいの連絡を絶った。

こんな不誠実な男のために26歳から28歳までの、女にとって大事な2年間を無為に過ごしてしまったのか──。

江美子は恨めしげな視線を孝之に向ける。自分も愚かで誤った行動を取ったとはいえ、孝之に対する恨みはいまだに消しがたい。

そしていったいどうやって住所を調べたのか。孝之はいきなり江美子に対して手紙を送ってきたのである。ぜひ一度会いたい。会ってくれなければ旦那さんに直接頼みに行く──そんな脅迫まがいの文面は江美子をひどく憤らせた。

(これも私が犯した過去の過ちの報い。隆一さんには知らせず自分だけで解決しなければ)

江美子はそう思いさだめると、孝之の顔をきっと睨みつける。

「いったいどういうつもりなの」
「どういうつもりとは?」
「とぼけないで。あの手紙よ」
「ああ……」

孝之は薄笑いを浮かべる。
桐 10/20(土) 00:28:49 No.20071020002849 削除
「それにしても江美子が結婚していたとは最近まで知らなかったよ。水臭い奴だ。披露宴に呼んでくれれば祝いに行ってやったのに」
「何を馬鹿なことを言っているの」
「恋人同士だったじゃないか」
「そんな関係じゃないわ」
「それなら何だ。不倫相手ということか」

江美子はかっと頭が熱くなるのを必死で抑える。

「私はあなたに奥様がいるとは知らなかった」
「それは途中までだろう。知ってからも俺と付き合い続けていたはずだ」
「みんな終わったことよ」
「本当にそうかな」

孝之は静かに笑うと煙草を咥え、火を点ける。

「江美子は吸わないのか」
「二年前にきっぱりやめたわ。水上さんも少しは健康を気にしたら? かわいいお子さんが二人もいるのでしょう」

孝之は一瞬いやな顔をするが、すぐに平静に戻る。

「子供か――二人共ちっとも俺になつかない。家にいると女三人に男一人だ。完全に疎外されているか、せいぜい都合の良い運転手扱いだ」
「水上さんがそんな愚痴を言うなんて全然似合わないわ」
「江美子、また俺と付き合わないか」

孝之はじろりと江美子を見る。

「……何を馬鹿なことを。そんなことが出来る訳がないじゃない」
「あれから俺は思い知った。俺には江美子が必要だったということを」
「都合の良い女だからでしょう」
「月に一、二度会ってくれるだけで良いんだ」
「そんなことを本気で言っているの? 私には夫がいるのよ。水上さんにも家庭があるでしょう」
「俺を愛していると何度も言ってくれただろう」
「それはあなたが結婚しているということを知らなかったからよ」
「嘘をつくな。知ってからも言っていたぞ」
「……」

江美子は一瞬黙り込む。確かにかつて一度は愛した男だ。卑劣な手段を取るとは考えたくなかったが、どうも江美子の最悪の予想が当たりそうである。

「私が愛しているのは夫だけよ」
「北山隆一という男か?」
「よく調べたわね」
「俺が顔が広いことは江美子も知っているだろう。首都銀には何人も知り合いがいる」
「……」
「その夫も江美子を愛してくれているのか?」
「そうよ」
「江美子が昔、不倫をしていた女だと知ったうえでか」
「……」

江美子は険しい目で孝之をにらむ。

「私が32、彼が38で結婚したのよ。それぞれなんらかの過去があることは了解しているわ。でも、そんなことはお互い詮索しないのよ」
「江美子の夫は前の奥さんに不倫されたそうじゃないか」

孝之はひるむ様子もなく江美子の目を見返す。

「……そんなことまで調べたの」
「それが離婚の原因だったとしたら、相当その男は傷ついたはずだ。男にとって女房に浮気されるほど屈辱的なことはないからな。女性不信になってしまってなかなか再婚しようという気にもならない。また、仮に次に再婚する時は、今度こそ失敗しないでおこうと考えるはずだ。要するに絶対に不倫などしない女と結婚しようとな」
「いったい何が言いたいの」
「ある程度過去があることは了解しているとは言ったが、江美子が不倫の経験があることまでは了解しているかな?」
「さっきもいったでしょう。私は不倫をしようと思ってした訳じゃない」
「江美子の旦那がそう取るかどうかが問題だろう」
「彼はそんなことは知らないし、そんなことをわざわざ知らせる必要もないわ」
「どうしてそんなことが言える」
「私は彼を絶対に裏切らないからよ」
「さあ、どうかな」

孝之は短くなった煙草を消すと、新しいものを取り出して咥える。
桐 10/20(土) 00:30:19 No.20071020003019 削除
「平和な結婚生活を送るためだ。俺と月に一、二度付き合うくらいかまわないだろう。かえって刺激になって夫婦生活もうまく行くかもしれないぞ」
「お断りよ。それにどうして水上さんと付き合うことが平和な結婚生活を送れることになるの?」
「旦那が江美子の過去を知っても良いのか」
「誰も知らせないわよ。私とあなたのことを知っているのは、私の方ではごく親しい友人が2人ほどいるだけ。彼女たちは口が堅いから話さないわ。あなたの方はそもそも始めから不倫だったから、誰にも話していない」
「大事な人間を忘れていないか」
「あなた自身が話すというの? そこまで馬鹿だとは思っていなかったけれど」
「恋は盲目っていうじゃないか」
「話すのなら話しなさい。彼は分かってくれるわ」
「旦那の娘も分かってくれるかな?」
「……」

孝之の言葉に江美子の頬が引きつる。

「娘は父親が引き取ったんだろう。不倫を犯した母親を憎んでいるんじゃないのか? 同じ不倫女を新しい母親として受け入れるかな」
「……脅迫するつもり?」
「俺も昔の恋人にこんなことは言いたくない。俺が以前二人の妻をもっていたように、江美子も旦那が二人いるんだと割り切れば良いんだ」
「なんてことを……」
「俺に会うためにわざわざ美容院にまで行って、江美子もその気があるんだろう。早速旧交を温め合おうじゃないか」

江美子は孝之をじっとにらみつけていたが、やがて静かに笑うとジャケットの内ポケットから太いペンのようなものを取り出す。

「何だ、それは……」

孝之の顔が一気にこわばる。

「ボイスレコーダーよ」
「……」
「あなたの言ったことが脅迫にあたるかどうかは分からない。でも、これ以上私にまとわりつくようなら、これをもってあなたの職場に掛け合いに行くわ」
「そんなことは……」
「何でもないというの? あなたが以前のような花形ディーラーならそうかも知れないわね」

江美子は孝之の目をじっと見る。

「あなたは三年前に大きな損を出してディーラーの仕事からは外され、今はバックオフィス勤務らしいわね。潰しのきかない元為替ディーラーが四十近くになって次の職が見つかるかしら」
「……」
「馬鹿なことは考えないで、今度こそ家庭を大事にすることね」
「江美子……」
「さよなら、もう二度と会わないわ」

江美子は伝票を手にすると立ち上がる。孝之の目が一瞬憤怒に燃えたが、江美子の視線を受けて気弱に伏せられる。江美子はつかつかと喫茶室の出口へと歩きだした。


江美子が家に帰り着いたのは三時近くになっていた。横浜で買ったケーキが三つ入った白い箱を手に提げた江美子は「ただいま」と言いながら玄関に入る。

「お帰りなさい」

居間から出てきて理穂は、江美子の姿を目にした途端、さっと顔色を変えて立ち竦む。

「どうしたの? 理穂ちゃん」

江美子は理穂の不審な様子を訝しむ。理穂はしばらく江美子の顔を呆然と見つめていたが、やがてさっと背を向けて自分の部屋に駆け込む。

「理穂ちゃん!」

江美子の声を聞いた隆一が玄関に現れる。隆一の表情が急にこわばったのを見た江美子は、不安に襲われる。

「隆一さん、理穂ちゃんが……」
「江美子……」
「えっ?」
「その髪は……どうして?」
桐 10/20(土) 12:56:50 No.20071020125650 削除
「髪がどうしたの? 美容院に行ったのよ。前から黒くしなければいけないと思っていたから」
「こっちへ来い」

隆一に促されて江美子は寝室に入る。隆一が棚の奥からアルバムを取り出す。

「麻里の写真はほとんど処分したんだが、理穂と一緒に写っているものは残している。今はまだ憎んでいるかもしれないが、あいつにとって母親であることは変えられないのだから」

隆一はそういいながらアルバムを開く。そこには満開の桜の木の下で並んで立っている麻里と理穂の姿があった。その写真を見た江美子は驚きに息を呑む。

理穂の小学校の入学式の際に撮ったものだろう。満面の笑みを湛えた理穂の隣でスーツ姿の麻里が微笑んでいる。麻里の髪型は今のものとは違う──江美子が今日美容院でセットされたのとほとんど同じスタイルの、黒髪のショートだった。

6年半前に撮られたその写真の麻里は現在の江美子とほぼ同年齢。顔立ちが似ていることもあって、同じ髪型の麻里は江美子にとって、まるで自分自身の写真を見ているようだ。

「これは……」

唖然とした表情で江美子はその写真を見つめている。

「理穂が生まれてからの麻里は、短いほうが手入れがしやすいからといってずっとこの髪型だった。そしてこの姿で有川と関係し、俺と理穂の元を去った」
「そんな……」
「江美子はどうして髪を切った? どうして麻里とそっくりなんだ?」
「それは……」

江美子は一瞬、麻里から紹介された美容院に行ったことを話そうかと思うが、すぐに思いとどまる。

そうすると隆一はどうして江美子があの旅行の後、麻里と接触を持っているのかについて不審に思うだろう。言い訳が出来ないことではなかったが、江美子は自分の本心、つまり麻里と自分が接触することによって彼女を隆一から遠ざけようとする意図が、隆一に悟られることを恐れた。

「……ただの偶然です」
「偶然? そんな偶然があるのか」
「私、美容師さんに『麗しのサブリナ』のオードリー・ヘプバーンのような髪型にして欲しいと頼んだんです」
「『麗しのサブリナ』……」
「すみません、子供っぽくて」
「江美子はその映画を観たことがあるのか」
「えっ、ええ……昔テレビで……」
「どんなストーリーだったか覚えているか?」
「いえ」

江美子は首を振る。

「子供の頃だったので、よく覚えていません」
「ヘプバーンが演じるサブリナというヒロインが、二人の男の間で揺れ動く話だ。そのうち一人はプレイボーイで婚約者もいる」

隆一の言葉に江美子は愕然とした表情になる。

「そんな……」
「理穂は母親のことを『ヘプバーンのようだ』と自慢していたし、小学生の頃に彼女の主演した古い映画をレンタルで借りるようねだった。しかし、麻里がこの家を出て行ってからは見向きもしない」
「私、知りませんでした」
「知らないのは当たり前だ。江美子には話したこともないし、麻里の昔の写真を見せたこともないのだから」
「私、すぐにこれからもう一度美容院に行って、髪形を変えてきます」
「その必要はない」

隆一が玄関を出ようとする江美子を止める。

「理穂は少し驚いただけだ。大丈夫だ」
「でも……」
「お互いに意識しなくても、江美子と暮らしていくうちに母親のことを思い出すことはあるだろう。そのたびにいちいちショックを受けていたらこれからやっていけない」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はない。偶然なんだろう? 江美子に責任はないよ」

隆一は気持ちが落ち着いたのか、江美子に優しく声をかける。それがかえって江美子は罪悪感に胸がえぐられるような思いがするのだった。
桐 10/20(土) 13:00:47 No.20071020130047 削除
(最悪の週末だったわ……)

得意先周りを終えた江美子はオフィスに戻る電車の中で、週末の出来事を思い出している。

しばらくして落ち着いたのか、理穂が部屋を出てくると江美子が買ってきたケーキを3人で食べた。しかし、理穂は明らかに江美子を見ないようにしており、その態度は日曜になっても変わらなかった。気を使って話しかける江美子に笑って答えるのだが、目はこちらを見ていないのだ。

めったにしないことだが、土曜の夜は江美子から隆一をベッドに誘ってみた。しかし、隆一は「今夜はその気になれない」と首を振るだけのだった。はっきりと口には出さないが、江美子の姿が麻里を思い出させるために違いない。

(いちいちショックを受けていてはやっていけないと言っていたけれど、一番ショックを受けていたのは隆一さんではないのか──)

江美子は憂鬱な気持ちでそんなことを考える。

隆一から止められているので、髪形についてもすぐに直すわけには行かない。それに、これだけ短くしてしまったらバリエーションにも限界があった。

皮肉なことに江美子の新しい髪形は、同僚や上司、そして取引先には好評だった。何人かは褒め言葉のつもりか「オードリーヘプバーンに似ているね」と笑い、それがさらに江美子を憂鬱にさせる。

(ある程度長くなるのを待つしかないわ)

そう考えた江美子が思わずため息をついた時、携帯にメールの着信音がする。送信先には「中城麻里」と表示されている。

(麻里さん……)

ざわついた気持ちを抑えながら江美子はメールを読む。

『ご紹介した美容院はいかがでした? きっと気に入っていただけたことと思います。早速ですが、理穂のことでご相談したいことがあるのでお時間をいただけますでしょうか。麻里』

(白々しい……どういうつもりなの)

江美子はカッと頭が熱くなるのを感じる。麻里は江美子と隆一、そして理穂の間に波風が立つことを楽しんでいるのか。それとも、よほどの天然なのか。

江美子は承諾のメールを打つ。まもなく麻里から、金曜の夜9時に渋谷駅近くのカウンターバーでどうかと返事がある。

(どういうつもりなのか、確かめてやるわ……)

江美子はそう思い定めると、再び麻里に了解のメールを返す。


麻里の指定したバーは、六本木通りと青山通りが交差したあたりのビルの地下1階にある。清潔感のある落ち着いた雰囲気は、女性が一人で入るのに抵抗がない。麻里はすでに到着しており、カウンターの端でカクテルを飲んでいる。江美子の姿を認めると、麻里は立ち上がって会釈をする。

「お忙しいところを急にお呼びだてしてごめんなさい」
「いえ、私のほうでもお話したいことがありましたから」

江美子は会釈を返して席に着く。

「思ったとおりだわ」

麻里は微笑みながら江美子をしげしげと眺める。

「え?」
「その髪型、江美子さんにぴったりだわ。よく似合うわよ」
「……」

邪気のない麻里の表情に言葉を失っている江美子に、バーテンダーが声をかける。

「何かおつくりしますか?」
「え、ええ……」
「ここのバーは、ハーブ入りカクテルが有名なのよ」

麻里の勧めに江美子は思わず「それじゃあ、それをお願いします」と頷く。
桐 10/21(日) 10:44:26 No.20071021104426 削除
「かしこまりました」

バーテンダーはカウンターに置かれたラム酒を取り上げ、ライムジュースと混ぜ合わせ始める。バーテンダーの巧みな手つきをぼんやりと見ている江美子に麻里が声をかける。

「江美子さんがお話したいことって何かしら」
「え、ええ……それは……」

江美子は一瞬口ごもるが、やがて意を決して話し出す。

「この髪型は麻里さんが昔されていたものと同じですよね」
「そうよ」

麻里が悪びれずに答えたので、江美子は驚く。

「どうしてそんなことを……」
「江美子さんに似合うと思ったから、次に隆一さんが気に入っていたから、その二つが理由よ」
「理穂ちゃんは麻里さんのことを思い出してしまったようでした」
「あら、そうなの?」

麻里は首をかしげる。それのどこがいけないのか理解できない、といった表情である。

「理穂ちゃんの心を乱してしまったようなのです」
「理穂はそんなことで気持ちが乱されるような子じゃないと思うけれど」

アルコールが入っているせいか、麻里の話し方は以前よりもかなりくだけた感じになっている。江美子の前にバーテンダーが出来上がったカクテルを置く。

「ペパーミントのモヒートです。ペパーミントにはリフレッシュ効果や、リラックス効果があるんです」
「あら、美味しそうね」

麻里は「私にも同じものを」と注文する。まもなく麻里の前にも江美子と同じカクテルが置かれる。

「それじゃあ、乾杯しましょう」

麻里はグラスを持ち上げる。

「何の乾杯ですか」
「あなたと隆一さんの結婚一周年のお祝いよ」
「記念日は来月です」
「知っているわ。そのときはもう一度お祝いしましょう」

(隆一さんと同じことを言っているわ)

江美子はそんなことを考えながら、仕方なく麻里と合わせてグラスを持ち上げる。「乾杯」と麻里が言いながらグラスに口をつけると、江美子も釣られてカクテルを口にするが、ペパーミントの甘さと清涼感が心地よく、一気に半分ほど飲んでしまう。

「どう?」
「……美味しいです」
「そう、よかったわ」

2人がカクテルを口にするのを確認したように、バーテンダーがカウンターに料理を出していく。フルーツトマトのサラダ、鴨のたたき、オリジナルのピザなどが並べられる。

「ここは料理も美味しいのよ。江美子さん、仕事が忙しくて夕食がまだなんじゃない?」
「はい」

そのとおりなので江美子は頷く。カクテルは飲みやすいが意外に強い。それほど酒に強くない自分が空腹時にあまり飲むと酔ってしまう。江美子は遠慮なく料理を口にする。

「美味しいです」
「そうでしょう」

確かに麻里が言うとおり、バーのつまみとは思えないほどの味である。バーテンダーが料理に合ったカクテルを作り、知らず知らずのうちにアルコールの量が上がっていく。そんな江美子の様子を麻里は楽しげに見つめていたが、やがて口を開く。

「心を乱されたのは理穂じゃなくて、隆一さんじゃない?」
「え?」

突然の麻里の言葉に江美子はたじろぐ。
桐 10/21(日) 10:45:47 No.20071021104547 削除
「それはどういう……」
「男の人は、女よりも過去を引きずるものよ」
「……」
「隆一さんが江美子さんと幸せになるためには、彼が私のことを吹っ切らないといけないわ」
「それと、私に麻里さんの髪型をさせたこととにどういう関係があるのですか?」
「わからないの? 隆一さんは無意識のうちに江美子さんに私の面影を求めているのよ」

麻里の言葉に江美子は衝撃を受ける。しかし、それは旅行中に麻里に会った江美子自身が感じたことである。

「こんなことを言うといかにも自意識過剰のように聞こえるのだけれど、本当にそう思うのだから仕方がないわ。それを隆一さんに一度はっきりと自覚させるために、こんな手段を使ったの」
「……」
「K温泉であなたと隆一さんを見たときから私にはわかっていたわ。私には妹はいないけれど、もしいたとしたらあなたのようだったと断言できるわ」
「そんな……」
「あなたも気づいているでしょう。有川さんもあなたを見た瞬間にわかったと言っていたわ。彼がK温泉で隆一さんに対してやや失礼な態度をとったのもそのせい──彼が私のことを吹っ切れていないことを気づかせたかったためなの」
「それで、麻里さんはそれについてどう思っているのですか?」
「本音を言うと少しだけ嬉しいところもあるけれど、やっぱり迷惑だわ」

そう言うと麻里はカクテルを少し口にする。

「私も隆一さんから離れて、新しい世界へ歩いていきたいの。けれど、隆一さんがいつまでも私を引きずって、理穂がそれを見て悩んでいるようでは心配だわ」
「理穂ちゃんが悩んでいると……」
「隆一さんが苦しんでいるのを見てあの子なりに悩んでいるのよ──そもそもの原因は私なのだけれど」

江美子にはそこまでは気づかなかった。理穂が江美子の新しい髪形を見た際に衝撃を受けた様子は、自分よりも父親の心の傷のことを慮ったせいだというのか。

「……どうしたらいいんでしょうか?」

江美子は麻里の方をまっすぐ見る。

「江美子さんは隆一さんを愛しているんでしょう?」
「もちろんです」
「彼から愛されているという実感はある?」
「それは……」

あると断言したかったが江美子は急に自信がなくなる。隆一が今も愛しているのは麻里ではないのか。自分を抱くことで、麻里を抱けない心の渇きを癒しているだけではないのか。

――麻里

隆一の苦しげな声が江美子の頭の中に浮かんでくる。

「……わからなくなって来ました」
「私の影がなくても江美子さんが隆一さんに愛されること、そのためには江美子さんが隆一さんのことをもっと知る必要があると思うわ」
「もっと知る……」

江美子は麻里の意図を図りかねる。

「私が隆一さんのことを理解していないとおっしゃるのですか」
「そうは言っていないわ」

麻里は首を振る。

「それでも、私は彼とは学生時代以来、離婚するまで15年以上の付き合いよ。その間には色々なことがあったけれど、今でも彼のことは一番わかっているつもりよ。江美子さん、あなたは隆一さんと会ってからどれくらいになるの?」
「……二年です」

江美子の答えを聞いた麻里は微笑む。それは余裕の笑みに思え、江美子は理由のつかない焦燥に駆られる。

「心配要らないわ。私が教えてあげる。隆一さんのことを全部」

麻里の目に、いつか夢の中で見た挑発的な色がふと浮かんだような気がして江美子ははっとする。

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