[1256] 亜希子 投稿者:E-BOX 投稿日:2004/05/28(Fri) 21:37
郊外に在る、市民病院内。
その診察室に、一人の女がいた。担当医の男が、女に言う。
「じゃあ、上着を捲って頂けますか」
「・・はい」
ブラウスのボタンを外した。農紺色のブラジャーが現れる。
繊細な指先がブラジャーの下部を掴み、上へと引き上げた。真っ白な乳房がゆらり、と
上下に弾みながら露出する。それは熟し切った果実に似て、重たげに揺らいだ。
医者がその乳房を冷めた眼で凝視する。珍しい肉隗でも観察している様に。
女は、思わず伏せ目がちになるその視線を逸らせた。事務的な医者の行為でも、未だ恥ずべき感覚が拭い切れないのだった。
「順調に回復されていますね・・腹部の膨張も今は見られませんし」
「はい・・もう・・お腹の辺りは以前のサイズに戻っているみたいです」
「乳輪の色素沈着も消えつつあるし・・母乳、と言いますか・・その症状は」
「ええ・・それも・・あの・・」
「はい」医者は相変わらず事務的に次の台詞を促す。
「・・余程、あの・・刺激を与えなければ・・出なくなりました」
そう言う女の頬が赤く火照った。
「刺激、ですか?」尚も医者が問う。
「はい、ですから・・・強く、揉む様に・・するとか・・乳首を・・摘む、とか・・」
女は消え入りそうな声で答えた。
女の名は篠塚亜希子。今年で三十一歳になる。結婚して四年目。漸く妊娠出来たと
思ったのは、もう二ヵ月程前の事だった。
「ふん・・・・なる程・・まあ、それも暫くすれば治まるでしょう。大きさは如何です?張った様な感覚とか・・」
医者は、亜希子の左乳房を下から持ち上げる様に掌に乗せて軽く揺らせた。
「今は、乳房の張った感じも・・無くなりました・・大きさも以前に戻った様ですし・・」
更に左の乳房も同じ様に掌に乗せて持ち上げ、幾度も跳ね上げる。ぴたぴたと乳房がひしゃげて撓み、乳首がその中心で踊る。亜希子は無言で堪えた。医者の行いは診察と言う名目の元、只揺れる乳を愉しみ、弄ぶ行為にも思えた。
「で?大きさは」催促する様に医者が問う。答えなければならない雰囲気が在った。
「あ・・・はい、・・F、カップだったのが・・今は・・Eカップの・・ブラジャーで収まります・・」
亜希子は途切れ途切れ言った。
「そうですか・・・」どうでもいい感じで、医者が答える。
「じゃあ・・最後にもう一度・・下半身を診ましょうか・・」
「え・・ですが・・それは先程・・・」
先程、亜希子は椅子に座り、その下半身を医者に剥き出していた。羞恥心に身体が震えそうになりながらの診察だった。増してや、ここは産婦人科では無い。精神科なのだ。
今日で三度目になるが、一向に慣れる事は無かった。
「想像妊娠」。こんな病気に自分がなるとは想像さえしなかった亜希子だった。
再度医者に急かされ、亜希子は再びタイトスカートに手を掛けた。亜希子より一回りは年上に見える医者は、相変わらず冷めた視線で亜希子を観ている。中肉中背で目立った部分も無い平凡な風貌。しかし、その視線は鋭く冷たい。決して笑わず事務的なその態度とは裏腹に、行う診察の内容は専門の粋を超えている気さえしていた。
その眼が、早くしろと言っている気がした。
ストッキングを脱ぎ、ブラジャーと同色のショーツに指を掛ける。そして医者の視線を避ける様に亜希子は背を向けた。
「先程から思っていましたが、随分小さな下着ですね」背後から冷たい声が掛る。
「そう、ですね・・・いつもこの位のを・・小さい・・でしょうか」
下半身を冷やすなとでも言いたいのだろう。しかしガードルは苦手だった。締め付けられている感覚が嫌だったからだ。腹部迄被う下着も、年齢的にまだ着ける気にはならない。
「尻の肉が・・下着の裾から半分程はみ出していますね・・・その尻は・・想像妊娠の症状が出てから更に肉を付けたのでは無いですよね」
「いえ・・・お尻の大きさは・・余り変わっていないと、思います・・」
屈辱に答える声が上擦った。
「いや、初診の時より尻の厚みも増している」
遠慮の無い視線が背後から突き刺さって来る。
「その肉付きじゃあ、下着も食い込む筈だな・・」
亜希子はショーツ一枚の下半身を晒したまま、それを脱げずにいた。今日の医師の言葉は、露骨過ぎる。羞恥心が更に煽られた気がした。
この診察室には亜希子と医者以外、誰もいない。いつもそうだった。
このドアの向こう側には、待合室が在る。人々が溢れている筈だ。
「尻のサイズは?計っていますか」
「・・いいえ・・最近は、計っていません・・」
「大体で結構です、何センチですか」
「・・・九十センチ、程だと、思います・・」
有無を言わせぬ問答に、亜希子は答えるしか無かった。
「いいでしょう。では、尻を出しなさい」
医者は静かに言った。出しなさい、と。命令口調以外の何物でも無い。
「はい・・・わかり、ました」
亜希子は呻く様に言い、下唇を噛み締めた。そして下着に掛けた指を降ろした。小さいと云われた濃紺のショーツが丸まり捻れ、その形状を紐の如く変えながら、真白い尻を剥き出しにしていく。表面を波打たせながら、医者の目の前に三十路を過ぎた女の尻が曝け出された。
篠塚亜希子は、家路に向かい歩いていた。
診察が終わったのは、午後に入ってからだった。
小一時間程、あの診察室にいた事になる。その間、亜希子は様々な検査という名の屈辱を受けた気がしていた。
(あの先生・・・段々診察の内容が酷くなってきてる・・どうして・・)
しかし、病状が回復してきているのも事実であった。
想像妊娠と診断された当初、亜希子の身体の変化は凄まじいものがあった。
腹部は実際の妊婦の如く盛り上がり始め、乳房は張りを増し、乳首からは初乳と思える乳液さえ絶えず吹き零れた。更にはつわりの症状も日々続き、苦悩する毎日だった。
産婦人科を次々に回り、それでも思わしい回復が出来ず、最後に紹介されたのがあの精神科医だったのだ。
懐妊を待ち望んでいた亜希子にとって、それが疾患の症状である事が判明した頃は軽い鬱病にさえ侵された様な精神状態が続いた。
夫はその心情を察し、最終的には身体では無く精神の治療を促した。結果、亜希子は順調に回復している。後は時折実際の妊婦の様に噴出す母乳の症状と、止まっている生理が始まれば完全に回復したと言えるだろう。
そうなれば、健康に戻り、夫婦生活の営みも再開して構わないと医師は言っていた。
しかし、それも今では叶わない事を亜希子は感じていた。
夫が、亜希子の発病を境にして、男性の機能が完全に「不能」となっていたからだ。
理由はそれだけでは無いかも知れない。だが、事実だった。幾度試そうとも結果は同じだった。
(その事も・・・今度あの先生にご相談した方がいいのかしら・・でも・・)
亜希子は迷った。夫婦の営みの問題に関してまで晒したくは無い。何故なら、あの医師が夫とは知り合いである事を聞いていたからだった。医師は田沼五郎と言う名だった。聞くところによると元大学の先輩という間柄だという。
(今度の診察・・二人で診て頂いた方がいいのかも知れない・・でも・・主人の前であんな診察を今度も受けさせられたら・・)
亜希子の眉根が曇る。田沼の診察はやはり度を越えているのではないのか。まるでそれは亜希子の羞恥心を甚振って愉しんでいる様にも思える。今日の診察では最終的には全裸に近い状態となり、ショーツ一枚の姿で田沼の目前を歩かされた。医師に向かって突き出した裸の尻を、気が遠くなる程観察された後、ショーツのみの着用を許されての事だった。
亜希子はその姿で壁と田沼の間を三往復、ゆっくりと歩行する様命じられた。身体が傾いでいく程の羞恥心に堪えながら、従ったのだった。
その診察の意味合いとは、歩行する度に揺れ動く、剥き出しの乳房や下着に食い込んだ尻の肉の動きを診る為だと言われた。
「では、こちらに向かって歩きなさい」
「・・・はい」
「乳房の揺れが激しいですね・・痛みはどうです」
「・・いいえ・・別にありません・・」
「では,背を向けて・・今度は向こう側に歩きなさい」
「はい」
「尻の肉が重そうに左右に振れますね・・・違和感はないですか」
「違和感・・ですか・・別に、ありません・・」
「食み出した部分が目立つな・・・歩く度にぶるぶると波打っていますよ、どんな感じです、尻の感覚は」
「・・お尻の、肉が、左右に、移動して・・・揺れている・・感覚、です」
露骨な表現を言わされる屈辱に、声が震えた。
「三十歳を過ぎて・・・その尻は脂肪、つまり肉を付けましたか」
「・・分かりません・・お尻を・・そんな頻繁には・・測っていませんから・・」
「尻の肉は・・三十歳を過ぎ・・少し張りが失せて柔らかくなってきている訳でしょうか、どうです」
「柔らかく、ですか・・・そんな、感じも、します・・」
そんな診察が在るのだろうか。尋常では無い。異常な感じがした。ハイヒールだけを履いたままショーツ一枚の姿で歩く。それは単に、亜希子の裸体を観たかっただけではないのか。揺れる乳房、そして尻に対しては、事の他執着心を見せた。
亜希子を患者としてでは無く、一人の女として、更には性の対象として凝視していたのではないのか。
そういう傾いだ趣味嗜好が、あの田沼という医師には在るのではないのか。
(まさか、そんな・・・考え過ぎだわ・・・治療をして下さっているだけよ・・裸の身体を診る事だって・・きっと必要な筈・・)
亜希子は一人、心の中でそう呟いた。もう一人の自分が、そうでは無いと訴えるのを無理矢理に押し込めようとしていた。
そして何よりも亜希子は、自分の中に居るそのもう一人が、更に恐ろしい言葉を吐く事を一番恐れていた。何よりも。
その夜。
亜希子はキッチンに向かっていた。今日は久し振りに夫が残業も無く帰宅している。
夫の良雄は四十歳になる。仕事一筋という言葉が、夫程似合う男も珍しいのではないかと亜希子は思った。趣味らしい趣味も無く、休日は亜希子の買い物にも付き合う。
優しく、生真面目な夫だった。
「あなた、おビールで宜しかったの?」
「ああ・・」
夫はソファーに寝転ぶ様にしてテレビを観ている。疲れているのだろう、声が低い。
無理も無い。不景気の影は順調だった夫の勤務する会社にまで及んでいると聞く。
リストラや経費削減で社員は最盛期の半分近くになるという。亜希子が勤めていた頃とは比較にならない厳しさだろう。上司だった頃の、溌剌とした夫の顔が浮かぶ。
今のそれとは、明らかに違っていた。
「余り無理なさらないでね・・・お仕事」
独り言の様に、亜希子は呟いた。十歳近く年上で平凡だが、優しく生真面目な夫。亜希子には不満など在る筈もなかった。
身体だけは壊して欲しくはない。養われている妻としての立場では無く、良雄を愛する女として真剣にそう願った。
ふと、病院のイメージから今日の診察が思い出される。
「あなた・・今日ね・・」背を向けたまま、亜希子は口を開いた。
「・・ああ、病院に行ったんだったな・・どうだった」
「ええ・・・・順調に回復してますって・・お医者様が」
「そうか、良かったよ・・あの人を紹介して・・」
「・・あの人?」
「田沼さんだよ、俺の先輩の兄貴だって言っただろ?」
夫がチャンネルをリモコンで変えながら続ける。
「え、ええ、そうね。先輩のお兄様だったの・・あの方・・」
「真面目な先生らしいよ・・前は産婦人科にも勤めてたらしいな」
「そうだったの・・だから・・」
その言葉を聞き、亜希子は今日の診察を、何と無くだが理解出来そうに思えた。
「何だ、だからって・・何か在ったのか」
「いいえ、別に・・。あ、御免なさい、おビール出さなきゃ」
「おいおい・・やっと気付いたのか、最近物忘れが多いな亜希子は・・もうオバさんか」
「はいはい・・どうせ私は、三十路を過ぎたオバさんです。あなたもオジサマだから丁度いいでしょ」
「言うなあ、亜希子も」
リビングに二人の笑い声が響く。亜希子は、久々に笑った様な気がした。
(子供が出来なくても・・・貴方さえ元気でいてくれれば・・それでいいの)
子供を欲する亜希子が、疲れている夫を不能に追い詰めたのかもしれない。
そう思えば思う程、夫が愛しくなっていくのを感じた。