心の隙間 1
松本 12/20(水) 21:28:32 No.20061220212832 削除
今から十数年も前の出来事なのに、今でも思い出す度に胸が苦しくなってきます。
「やっぱり私も行きたい」
「無理を言うなよ。子供達の学校はどうする?」
「お母さんに・・・・・・」
確かに妻の実家が近いので、共働きの私達は絶えず子供達を預かってもらっていました。
「それに久美も仕事があるだろ」
「分かっているの。無理な事は分かっている。でも・・・・・・」
「工場が軌道に乗ったら現地の人間に任せて帰って来られるから、長くても一年の辛抱だから」
「毎月帰って来てくれる?」
「無理を言うなよ。いくら近いと言っても国内じゃないのだぞ。お盆や正月以外にも、休暇をとって帰って来るようにするから、子供達の事は頼む」
それからの私達は新婚当時に戻ったかのように、毎日激しく交わって愛を確かめ合い、十日後には空港に向かっていました。
「遊びでも絶対に浮気しないでよ。一度でも浮気したら離婚だからね」
空港で別れる時にこのような事を言っていた妻が、まさかこのような事をしようとは思いもしませんでした。
妻とは高校の同級生で、付き合いを含めれば二十年近くも一緒にいる事になり、30代半ばになっていたにも関わらず休日はほとんど行動を共にし、出掛ける時は子供が一緒の時でも腕を組んでいたので、近所でもオシドリ夫婦で通っていました。
それが勤めていた会社が中国進出を決めた事で、高校の時から三日以上逢わずにいた事のない私達が、離れ離れになってしまいます。
その上いざ向こうに行ってみると思ったように休みの取れる状態では無く、ゴールデンウイークにも帰国出来ずに、どうにか帰って来られたのは日本を旅立ってから四ヶ月も経ったお盆でした。
その時の私達は赴任が決まった時のように毎晩交わり、赴任先に戻る前夜の妻は、終わった後も涙を流しながら抱き付いて来て離れません。
「寂しいの」
私もそのような妻が愛しく思えて抱き締めて眠りましたが、次に帰って来た時の妻に変化が起こります。
それは後で分かったことですが、その時の妻は私への愛を確かめようとしていたのです。
確かめると言うよりも、私から離れていく気持ちを、もう一度私にしっかりと繋ぎ止めてもらおうとしていたのかも知れません。
「私の事愛してる?私は好き。私はあなたを愛している」
妻は私に纏わり付き、絶えず愛を口にします。
夜になれば妻から毎晩迫ってきて、私の全身に舌を這わすなど、このような積極的な妻は今まで見た事がありません。
「あなたが好き。あなたが大好き」
それは自分に言い聞かせる言葉だったのですが、この時の私には分かりませんでした。
そして次に帰国出来た翌年の春、妻は違った変化を見せます。
それは三日間だけの帰国で、金曜はその足で会社に行かなければならなかったので土曜は一日中妻と過ごし、日曜の午後には赴任先に戻る予定でしたが、前もって言ってあったにも関わらず、妻は土日が仕事になったと言います。
その時の妻はなぜか暗く沈んでいて、前回のように私に愛を囁く事も無く、事あるごとに謝り続けていました。
「ごめんなさい」
「何をそんなに謝っている?」
「ううん。折角帰って来てくれたのに、休日出勤になってしまったから」
それは夜も変わらず、なぜか妻は謝り続けていました。
「あなた、ごめんなさい」
「昼間から、ずっと謝ってばかりいるな」
「こんな時に生理が来てしまったから」
「仕方ないよ。抱き合って眠ればいいじゃない」
「そうだ。子供達も寂しがっていたから、今日は四人で寝ましょう」
強引に布団を運び込む妻に不自然さを感じながらも、トラブル続出で転勤が半年以上延びる事になった私は、妻に申し訳ないという気持ちが強くて何も言えません。
しかし妻は、その年の夏季休暇も私と二人になると謝るばかりで、夜もまた生理を理由に拒み続け、流石の私もおかしいと思いながらも仕事は待ってはくれず、後ろ髪を引かれる思いで赴任先に戻りました。
そして十月にようやく単身赴任も終わり、帰って来ると一番に妻を抱き締めましたが、妻は身体を硬くして涙まで流しています。
私はその涙を嬉し涙だと思ってしまい、疲れも忘れて早速妻を誘ってみると生理が来たと言って断わられ、一週間経つと今度は身体の不調を訴えて、妻と交わる事も無く十日が経ちました。
「今夜はいいだろ?」
私は我慢の限界を迎えていて、強引に押し倒すと妻は私との間に腕を差し込み、私を遠ざけようと胸を押して、涙を流しながらキスを拒みます。
「ごめんなさい・・・出来ないの・・・ごめんなさい」
「出来ない?どう言う意味だ!」
「彼が・・・・・・・」
私には妻の言っている意味が理解出来ませんでした。
「彼?」
「ごめんなさい・・・・・好きな人がいるの」
全ての物が崩れ去る音が聞こえ、怒りよりも悲しみが襲ってきます。
「こんな時に冗談はやめてくれ」
「本当なの・・ごめんなさい・・・・ごめんなさい」
私は妻から離れると部屋を飛び出し、一人になると猛烈な悲しみに襲われましたが、事が大き過ぎるからか不思議と涙は出て来ません。
するといつの間にか、後ろに妻が立っていました。
「あなた・・・・・・・」
「相手は誰だ」
「それは・・・・・・・・・」
「相手は誰だ!」
「彼は今・・・・離婚調停をしていて・・・・・・・大事な時期だから」
悲しみは徐々に怒りへと変わって行きます。
「だから相手は誰だ!」
私は妻の頬を張っていました。
「言えません・・・ごめんなさい」
私はまた頬を張りましたが、あれだけ愛していた妻を力一杯張り倒す事は出来ずに、手加減を加えてしまいます。
「叩いて!あなたに叩かれても仕方ない事をしました。殺されても、文句も言えないような事を」
「それなら殺してやる!」
妻に馬乗りになると首を締めていましたが、力を入れたのは最初だけで、やはり妻を殺す事など出来ず、閉じた目から涙を流している妻を見ていると、妻の恋が真剣なのが分かって怒りは例えようの無い寂しさに変わっていきました。