七塚 10/8(日) 16:57:17 No.20061008165717 削除
いきなり扉を開き飛び込んできた時雄に、店内にいた者は皆、驚いた顔をした。先ほどの乱闘で時雄の顔や身体のあちこちには血が付いている。
「あなた・・・・」
千鶴もまた驚いた顔をして、ふらふらと立ち上がった。時雄はつかつかと歩いていき、その手首を強く引いた。
そのまま有無を言わさず、店の外へ連れ出した。
「ちょっと待て、あんた!」
誰かが叫ぶ声を背中で聞きながら、時雄は千鶴をぐいぐい引っ張って、夜の道を走った。
環状線の電車に揺られながら、時雄は一言も口を聞かなかった。口を開けば、何かに負けてしまいそうだった。
千鶴もまた何も言わない。連れ出された理由を問うこともしなかった。黙ったまま、すっとハンカチを取り出し、時雄に付いた血を拭った。
電車を降りて、時雄が現在住んでいるマンションへ行った。
「入ってくれ」
時雄は静かに言った。
千鶴は招かれるまま、リビングに入って座布団の上へ正座した。
「お部屋、綺麗にされているんですね」
ぽつりとそう言った。
「物がないからな」
実際、この部屋にはほとんど物がない。掃除が面倒なので、必要最低限の物しか置かないのだ。自炊もほとんどしないので、キッチンも汚れてはいない。
あまりにも簡素で生活感のない部屋。それはいかにも寂しい一人暮らしの中年男の現実を露呈しているようで、そんな生活の一端を千鶴に覗き見られたことが、こんな場合でも時雄は気恥ずかしかった。部屋を見つめる千鶴の顔も、心なしか痛ましげな表情に見えた。
「千鶴」
「はい」
「なぜ黙っている? なぜ何も聞かない?」
時雄の言葉に、千鶴はなおも視線を合わせず、じっと床を見つめていたが、おもむろに、
「その怪我はどうしたんですか?」
と聞いた。
「これは・・・」
「木崎、ですか」
千鶴の勘の鋭さに、時雄は舌を巻いた。
「木崎と会ったんですね・・・」
「ああ、そうだ」
時雄が答えると、千鶴はまた黙り込んだ。
目覚まし時計の秒針の音だけが、かちかちと響く。
「千鶴」
また、名を呼んだ。
「はい」
「俺からも聞きたいことがある。答えてくれ」
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