七塚 10/9(月) 20:29:41 No.20061009202941 削除
静かな調子に激情を孕んだ時雄の言葉に、千鶴はうつむいて視線を逸らし、じっと何かを考えているようだった。
やがて、言った。
「・・・その前に傷の手当てをさせてください。薬箱はありますか」
千鶴の細い指が、時雄の手首を掴んでいる。
濡れタオルで傷ついた拳を拭いた後、千鶴は消毒液をひたしたガーゼを包帯で傷口に固定した。
「ほかに傷はありませんか?」
「唇を少し切ったくらいだ。あとはなんともない」
「そうですか・・・」
千鶴の表情に何かためらうものがあった。
時雄の胸が疼いた。
「木崎のことが気になるのか?」
その言葉に千鶴は答えず、黙っていた。
「奴はまだ公園で寝てるかもしれないな。散々、顔を殴ってやったから」
千鶴はうつむいて、まだ黙っている。
「奴のことが心配か?」
「・・・・・・」
「どうなんだ? 俺に気を遣わないでもいい」
千鶴は無言のまま、血で汚れたタオルと衣服を持って立ち上がった。その手首を時雄はとらえた。
はっとした瞳が時雄を見る。
「なぜ奴に言われるまま、他の男に身体を売った?」
鬼気迫る顔で時雄は聞いた。
千鶴の顔から血の気がひいた。もともと白い顔が、いっそう蒼褪めるのが見えた。
しばらくの間、ふたりとも黙っていた。
やがて、千鶴がぽつりと呟くように言った。
「すみません。手首を離してください。痛いです」
時雄が手の力を緩めた。掌にじっとりと汗をかいている。千鶴の細い手首に赤く痕が残った。
千鶴はゆっくりと時雄の前に正座した。
「ごめんなさい」
千鶴は静かにそれだけ言った。
時雄は何も答えずに天を仰いだ。
やるせない気持ちでいっぱいだった。
千鶴の瞳から、涙がすっと流れるのが見えた。
「どうしてそんなことになった?」
「・・・・・・」
「金のためか? 何かどうしても金が必要になったのか?」
「・・・・それは・・・そうではありません」
「ならばどうしてアイツの言いなりになる!」
時雄は思わず叫んでいた。
「七年前のあのときもそうだった。君はただ謝るばかりで、何ひとつ俺に教えてくれなかった。君はそれでいいかもしれない。だが、取り残される俺の気持ちにもなってみろ。言い訳でもなんでもいい。俺が七年間どんな気持ちで生きてきたのか、君には分かるか。たった今、どんな気持ちで君とこうして向かい合っているのか、君には分かっているのか」
大声で言って、時雄は千鶴を睨みつけた。
千鶴の大きな瞳に溢れた涙の粒が、みるみる大きくなっていくのが見えた。
「泣くのは卑怯だ」
「・・・・・」
「謝るのも卑怯だ」
「・・・・・」
両手で顔を覆って、千鶴はしのび泣いている。
自分の言葉が千鶴を追いつめているのは痛いほど分かってはいたが、それでも時雄は追いつめずにはいられなかった。
ふうっと時雄はため息をついた。
「ちょっと風呂に入る。出てきたら、話を聞かせてくれ。今度こそ」
それだけ言って、時雄は立ち上がった。
千鶴は両手で顔を覆ったまま、動かなかった。
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