七塚 10/18(水) 23:42:19 No.20061018234219 削除
ベッドは譲ると言ったのだが、千鶴がどうしても自分がソファで寝ると言い張ったので、結局、時雄がベッドで寝ることになった。
「おやすみ」
そう言って電気を消す前に、ちらりと見えた千鶴の潤んだ瞳が、いまこうして暗闇の中でも瞼に浮かんでいる。
思えばふたりが一室で寝るのも、ずいぶん久しぶりのことだ。
もう二度と、こんな機会は訪れないと思っていた―――。
いまこの暗闇の中、すぐ傍にに千鶴が寝ているのだと思うだけで、時雄の胸は切なく疼く。まるで十代の少年のようだな、と時雄は力なく苦笑した。あれほど辛い思いをした後で、まだそんなことを考えている自分に、自分で驚く。
想いはさらに過去へ飛び、初めて千鶴とともに朝を迎えた日のことを時雄は思い返した。いま思えば、あまりにも未熟な交わりだったが、ひとつになったときの喜びは今でもはっきりと覚えている。他人に話せば笑われるだろうが、あれは自分のはかない生涯の中で最高の日だった。
翌朝目覚めて、明るい日の光の中、互いの顔を見あったとき、千鶴も恥ずかしがっていたが、時雄の照れようはそれ以上だった。あまり照れるので、しまいには千鶴のほうが吹きだしてしまったくらいだ。まったくもって、格好わるい男だった。あの頃も今も、そんな不器用なところはたいして変わっていない。
他愛なくも幸福な思い出が次々と時雄の脳裏に蘇る。短い結婚生活だったが、楽しいこともたくさんあった。そんな思い出をひとつひとつ思い返しているうちに、やがて記憶は七年前のあの日に届いて、時雄の背筋を凍らせる。
いや、千鶴の話を聞いた今では少し違う。本当に恐ろしいのは、千鶴が木崎と過ごしたその後の七年だった。
「起きていますか?」
突然、呼びかけられて、時雄ははっとした。
「起きてるよ。酒は飲んだけれど、今夜は眠りがなかなかやって来ない」
「昔は、あなたはあまりお酒を飲むほうではなかったと思います」
暗闇から千鶴の声が返ってくる。
「仕事の付き合いで段々と好きになったのさ」
嘘である。本当は独りの夜を誤魔化すために、酒を飲み始めた。以前は行かなかったバーなどにも一人で行くようになり、そして千鶴と再会したのだ。
「私が家を出て行った後で・・・」
そんなふうに言いかけて、暗闇からの声はとまった。
「何?」
「いえ・・・」
「気になるじゃないか」
「・・・私が出て行った後で、あなたがどんなふうに思って暮らしていたのかと思って・・・」
消え入るような千鶴の声。
時雄は思わず千鶴が寝ているであろうソファのほうに目をやった。しばらく考えた後で、口を開いた。
「最初は君を怨んだよ。ただただ君を憎んで、毎日を過ごしていた」
「・・・・・・」
「でもその後、凄く淋しくなった。淋しくてたまらなかった。仕事から帰ってきて、家のドアを開く前に、もしかしたら君が戻ってきてくれているんじゃないか、とバカなことばかり毎日考えた」
呟くように時雄は言って、ごろりと寝返りを打った。
闇の奥から、静かに千鶴の嗚咽が聞こえてきた。
「頼むから泣かないでほしい。そんなつもりで言ったんじゃないんだから」
慌てて時雄は言った。だが千鶴は何も答えなかった。
しばらくそうして時は流れた。
不意に闇の中でごそごそと何かが動く音がした。
「千鶴?」
振り返った時雄の視界に、薄闇の中でもはっきり白いと分かるものが入った。
それが何なのかはもちろん、すぐに分かった。
白いものはするりと時雄のベッドに入ってきた。
駄目だ。いけない。
そんなことをしてしまったら、今度こそ俺たちはどうにかなってしまう。またあの愛憎の渦に巻き込まれてしまう。
そんな想いが言葉となって時雄の口から出かけた瞬間、千鶴の唇が時雄の口を塞いだ。
冷たい肌の滑らかな感触が、ふっくらとした胸の優しい重みが、服の上からはっきり感じられた。
「ごめんなさい」
耳元で千鶴の囁く声がした。
「もう軽蔑されてもかまわない―――」
すべてを捨て去ったかのような千鶴の振る舞いに、結局、時雄も抗えなかった。抗えるはずもない。七年間ずっと焦がれていたのは、時雄のほうだったのだから。
久々に触れた千鶴の肢体は、以前よりもずっと『女』を感じさせるものに変わっていた。時雄の愛撫に応える反応もまた、『女』そのものという感じだった。そんな千鶴に時雄は胸を刺されるような痛みを感じながらも、惹きつけられずにはいられなかった。
夜目にも白くまるい乳房を撫で、背中に回した手で背肌をさすると、それだけで千鶴は忍び声をあげた。かくっと頸が折れ、倒れこんだ千鶴の唇から洩れる吐息が、時雄の胸をくすぐった。
むしろおずおずと、時雄は千鶴の秘所へと手を這わせた。柔らかい繊毛を分け入って、さらに奥へと手を伸ばす。その箇所に触れた途端、千鶴は「あっ」と声をあげ、打たれたように全身をふるわせた。時雄も驚いていた。千鶴のそこは熱いほどたぎっていた。
時雄がなんとか理性を保っていられたのも、そこまでだった。その後は千鶴の後を追うように、没我の底に沈んでいった。
後から思い返しても、その夜の千鶴の昂ぶりようは激しかった。最初はそれでも表情を押し隠そうと忍苦して、息も絶え絶えになっていたが、次々と波のように打ち寄せるらしい悦びに、最後はほとんど泣き声になっていた。何度も何度も、果てしなく昇りつめる千鶴の反応は、完全に開花した女のそれだった。
幾度となく求め合い、高め合った後で、時雄は吸い込まれるような眠りに落ちていった。頬にかすかにかかった千鶴の髪の艶やかな感触が、沈み込んでいく時雄の意識にいつまでも残っていた。
翌朝―――。
目覚める前から、時雄は厭な予感がしていたように思う。
窓の外から、かすかな雨音が絶え間なく聞こえていた。
千鶴はもういなかった。
消えていた。
昨夜、彼女がこの部屋にいたことが、すべて夢だったように。
なぜか、そのときの時雄には感じられた。
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