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北原夏美 四十路 初裏無修正

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七塚 11/1(水) 20:27:38 No.20061101202738 削除

 そして―――あの運命の日がやってきた。
 木崎は千鶴を犯した。
 あまつさえ、その事実を脅迫の種に使い、千鶴に関係を迫った。

 あの時期の千鶴の怯えた瞳は忘れられない。千鶴は世の中に存在するぎらついた悪意を知らずに育ってきたような女だった。かつては母親が、やがては時雄が、千鶴の強力な庇護者となり、世間の波風から徹底的に守ってきたからだ。
 そんなふうに育ってきた女がいきなり強烈な暴力に晒され、肉欲の捌け口となった。
 砂漠にいきなり放り出されたハツカネズミのように、千鶴はただ怯えていた。
 まるで鬼か化け物でも見るように自分を見つめる千鶴に、木崎自身も困惑を覚えていた。もともとはこんなふうにしたかったわけではない。掌中の珠を守るように千鶴を愛したかったのは木崎とて同じことだった。
 困惑はやがて激しい憎しみへ変わった。子供は欲しいものが手に入らないと、逆にそのものを憎むようになる。いくら望んでも手に入らないから憎いのだ。そして、木崎は子供だった。
 夫に真実を告げられない千鶴の弱さを盾にとり、木崎は千鶴の肢体を弄んだ。
 本当に欲しいのは千鶴の心。
 だが、それは永遠に叶うことはない望みである。
 もう戻れはしない。戻ることは二度とこの女を抱けなくなることである。
 そうする気にはなれなかった。何があっても。
 矛盾する愛憎と破滅への恐怖が、いよいよ木崎を狂気に駆り立てた。

 しかし、強制的に結ばせた関係はすぐに破綻した。時雄に不倫の現場を見られたのだ。
 木崎は怯えていた。この期に及んでは、さすがに千鶴も不倫の発端がレイプであったことを夫に告白するだろう。そうなれば―――いよいよ木崎は何もかも失うことになる。
 だが、千鶴は時雄に何も言わなかった。ただ、離婚の意思を示しただけだった。
 同時に千鶴と木崎との関係も終わった。
『あなたを恨んでいます。一生、恨みます』
 そう告げられた。
 それまで怯え一辺倒だった千鶴の目に、木崎ははじめて燃えるような怒りを見た。いくつになっても少女めいた雰囲気を持ち、無垢な小動物のようだった千鶴が、そのときはじめて生々しい憎悪の感情を爆発させたのだ。
 木崎は衝撃とともに、そんな千鶴を見つめた。

 やがて、本当に千鶴は時雄と離婚した。
 してやったり、とは思わなかった。どうせ時雄と別れても、千鶴が木崎のもとに戻ることはない。それどころか、一生、自分は憎悪の対象のままだ。
 なぜか、そのことが木崎の心を深く沈ませた。狂おしいほどに。

 ところが、運命のいたずらが起こる。千鶴のたったひとりの家族である母親が重い病に倒れ、千鶴はその治療費を捻出するためにソープに身を沈めたのだ。
 偶然、木崎はそのことを知った。ひどくショックだった。転がり落ちるような千鶴の不幸がショックだったのだ。言うまでもなく、そのひきがねを引いたのは木崎自身であるが、同時に木崎は千鶴のことを深く愛してもいた。狂気じみた愛憎の末に、滅茶苦茶に傷つけておきながら、いまだに身勝手な愛情を抱いていた。

 木崎は千鶴の勤めるソープに通った。
 千鶴はすでに昔の千鶴ではなかった。畳み掛けるような不幸の果てに、千鶴がかつて持っていた無垢な色は消え去り、かわりにどこか凄惨な空気を身にまとっていた。
 客としてやってきた木崎に、千鶴は激しい拒否反応を示した。当たり前だ。その瞳に映る燃えるような憎悪は消える気配すらなかった。木崎は木崎でここまで千鶴を堕としてしまったことに対する後悔と懺悔の念を抱いていた。少なくともそのときまでは。
 拒まれても、拒まれても、木崎はその店に通った。
 会うたびに口も聞かず、何もせずだったが、千鶴が次第にぼろぼろになっていくのは目に見えて分かった。母親のためとはいえ、それまで生きてきた世界とあまりにもかけ離れたところに放り込まれたのだ。かつての千鶴を知っているものからすれば、よく気がおかしくならなかったものだと思う。

 ゆっくりと崩壊していくような日々を過ごす中で、千鶴の木崎への対応も変わっていった。商売女らしい媚びを見せるようになったわけでもなく、相変わらず口もきかなかったが、いつ来ても指一本触れず、ひたすら懺悔し続ける木崎に、千鶴はどこか気を許すようになっていくようだった。

 孤独な人間ほど隙のあるものはいない。そのときの千鶴は本当に独りだった。木崎にすら心を許さずにはいられないほどに。
 千鶴の心が徐々に自分を受け入れつつあることに気づいた木崎は、予想外の展開に内心で狂喜した。これでやっと、対等の関係で千鶴と向き合うことが出来るようになったと思ったのだ。それは大学時代からの木崎の宿願だった。

 やがて、木崎はかねてから考えていた提案を口にする。母親の治療費を自分が肩代わりすること。そのかわり―――とは言わなかったが、木崎の言下の意図には千鶴だって気づいていたはずだ。だから、木崎はむしろおずおずとその提案を言った。
 その日、千鶴は何も言わなかった。だが、何を馬鹿なことを、と言ってその提案を撥ねつけることもしなかった。
 木崎の心は躍った。
 次にその店に行ったとき、ついに木崎は望みのものを手にする。千鶴が自分から身を任せてきたのだ。それが返事だった。

 ようやく、この女を本当に手に入れた!

 木崎はそう確信した。
最高の気分だった。

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