桐 10/17(水) 21:31:04 No.20071017213104 削除
「私は有川さんとのことでそれまでの人間関係のほとんどを失ってしまったの。今付き合いがあるのが、仕事関係と、学生時代からの友達のうちほんの少数。これはもちろん自業自得なんだけれど」
「私はやはり理穂のことが心配なの。理穂が私と暮らすのを拒んだのは、私を失う隆一さんに、自分だけでもついていてあげようと思っていたから」
「理穂ちゃんは、自分を実質的に育ててくれたお祖母様を考えていたのでは――」
「あの子が一番考えているのは父親のことよ。小さいころから将来の夢はパパのお嫁さんだって、今でも本気でそう思っているんじゃないかしら」
「そうなんですか」
中学二年という年頃によくあることだと思うのだが、理穂も隆一とはふだんあまり会話はない。むしろ女同士ということで江美子とより話すくらいである。そんなことを告げると麻里は大きく頷く。
「理穂のためにも江美子さんとお友達になりたいの。これから理穂もだんだん難しい年頃になっていく。だけど私の立場では理穂のそばについていて上げることは出来ない。ふだんのことは江美子さんにお任せせざるを得ないわ。また、その方がうまくいくと思う」
「それでも、私は九歳の時まで理穂を育てた母親ではあるのよ。江美子さんが理穂のことで悩んだ時に力になってあげられると思う。いえ、本音を言うと理穂とほんの少しでもつながっていたいのよ。こんなことを江美子さんにお願い出来る筋合いのことではないのだけれど」
「麻里さんの気持ちはよく分かります」
江美子は頷く。理穂は隆一の気持ちを思いやって両親の離婚以来麻里との面会を拒んでいるが、本音では母親を慕う気持ちもあるのだろう。自分が理穂と麻里の橋渡しをすることで、理穂の気持ちが癒されるのなら
いいことではないか。
いや、江美子が麻里の願いを受け入れようと思ったのはそれだけではなかった。これによって江美子は、自分の目の届かないところで理穂が麻里と連絡をとることを阻むことが出来る。麻里が理穂を通じて隆一に再び近寄るのをブロックすることが出来るのだ。
――麻里
先ほど隆一が発した苦しげなうめき声が再び蘇る。
「わかりました、私の方こそお願いします」
江美子は麻里の申し出を思わず受け入れていた。
「そう、嬉しいわ」
麻里は柔和な微笑みを江美子に向ける。
(悪い人じゃないんだ。それはそうだろう、隆一さんが一度は選んだ女性で、理穂ちゃんのお母さんなんだもの)
風呂から上がり、脱衣所の化粧台に座っている江美子は、改めて隣の麻里を見る。鏡に映っている木目の細かい白い肌も羨ましいほどだが、艶やかな黒髪が江美子の目を奪う。
「どうしたの、江美子さん」
「いえ……」
江美子は麻里の潤んだような目で見つめられ、一瞬どぎまぎする。
「麻里さんの髪、素敵ですね」
「あら、どうもありがとう」
麻里が小さく笑う。
「でも、江美子さんも素敵よ。よく似合っているわ」
「私は肌が黒いから、黒髪が似合わないんです」
江美子の髪は明るい栗色である。
「そんなことないわよ。黒くしても素敵だと思うわ」
「そうですか……本当は今は営業店勤務なので、もっと髪を黒くしろと言われているんですが」
「江美子さんは隆一さんと同じ銀行だったわね。あそこはそういったことはわりと自由だったんじゃなかったかしら」
「合併してからはそうでもないんです。それでも、本部にいる時はうるさく言われなかったんですけど」
江美子はそう言うと苦笑する。
「そうなの……」
麻里は軽く首をかしげる。
「今度、私が知っている美容院を紹介するわ。とても腕が良いのよ。値段もそれほど高くはないわ」
「でも……」
「大丈夫、ただの友達としか言わないから。好奇心の籠った目で見られることはないわ。きっと江美子さんにぴったりのものを提案してくれると思うわ」
「そうですか、ありがとうございます」
「そうだ、江美子さん。お友達になったのだから、メールアドレスを交換しなくちゃ」
麻里はそう言うと、化粧台におかれたホテルのサービスに関するアンケートのためのメモ用紙を一枚取り、自分のメールアドレスを書く。
「私、自分の携帯のアドレス、覚えていないんです」
メモを差し出す麻里に、江美子が困ったように告げる。
「あまり使わないのね。いいわ、後でこのアドレスに短いメールをくれればいいから」
麻里はそう言うと立ち上がり、浴衣を羽織る。
「それじゃあ江美子さん。これからもよろしくお願いします」
麻里は一礼して脱衣所を出る。麻里の瞳の中に一瞬、夢の中で見た妖艶な色を見たような気がした江美子は、手のひらの中に残ったアドレスを記したメモに目を落とす。
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