桐 10/20(土) 00:30:19 No.20071020003019 削除
「平和な結婚生活を送るためだ。俺と月に一、二度付き合うくらいかまわないだろう。かえって刺激になって夫婦生活もうまく行くかもしれないぞ」
「お断りよ。それにどうして水上さんと付き合うことが平和な結婚生活を送れることになるの?」
「旦那が江美子の過去を知っても良いのか」
「誰も知らせないわよ。私とあなたのことを知っているのは、私の方ではごく親しい友人が2人ほどいるだけ。彼女たちは口が堅いから話さないわ。あなたの方はそもそも始めから不倫だったから、誰にも話していない」
「大事な人間を忘れていないか」
「あなた自身が話すというの? そこまで馬鹿だとは思っていなかったけれど」
「恋は盲目っていうじゃないか」
「話すのなら話しなさい。彼は分かってくれるわ」
「旦那の娘も分かってくれるかな?」
「……」
孝之の言葉に江美子の頬が引きつる。
「娘は父親が引き取ったんだろう。不倫を犯した母親を憎んでいるんじゃないのか? 同じ不倫女を新しい母親として受け入れるかな」
「……脅迫するつもり?」
「俺も昔の恋人にこんなことは言いたくない。俺が以前二人の妻をもっていたように、江美子も旦那が二人いるんだと割り切れば良いんだ」
「なんてことを……」
「俺に会うためにわざわざ美容院にまで行って、江美子もその気があるんだろう。早速旧交を温め合おうじゃないか」
江美子は孝之をじっとにらみつけていたが、やがて静かに笑うとジャケットの内ポケットから太いペンのようなものを取り出す。
「何だ、それは……」
孝之の顔が一気にこわばる。
「ボイスレコーダーよ」
「……」
「あなたの言ったことが脅迫にあたるかどうかは分からない。でも、これ以上私にまとわりつくようなら、これをもってあなたの職場に掛け合いに行くわ」
「そんなことは……」
「何でもないというの? あなたが以前のような花形ディーラーならそうかも知れないわね」
江美子は孝之の目をじっと見る。
「あなたは三年前に大きな損を出してディーラーの仕事からは外され、今はバックオフィス勤務らしいわね。潰しのきかない元為替ディーラーが四十近くになって次の職が見つかるかしら」
「……」
「馬鹿なことは考えないで、今度こそ家庭を大事にすることね」
「江美子……」
「さよなら、もう二度と会わないわ」
江美子は伝票を手にすると立ち上がる。孝之の目が一瞬憤怒に燃えたが、江美子の視線を受けて気弱に伏せられる。江美子はつかつかと喫茶室の出口へと歩きだした。
江美子が家に帰り着いたのは三時近くになっていた。横浜で買ったケーキが三つ入った白い箱を手に提げた江美子は「ただいま」と言いながら玄関に入る。
「お帰りなさい」
居間から出てきて理穂は、江美子の姿を目にした途端、さっと顔色を変えて立ち竦む。
「どうしたの? 理穂ちゃん」
江美子は理穂の不審な様子を訝しむ。理穂はしばらく江美子の顔を呆然と見つめていたが、やがてさっと背を向けて自分の部屋に駆け込む。
「理穂ちゃん!」
江美子の声を聞いた隆一が玄関に現れる。隆一の表情が急にこわばったのを見た江美子は、不安に襲われる。
「隆一さん、理穂ちゃんが……」
「江美子……」
「えっ?」
「その髪は……どうして?」
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