桐 10/20(土) 12:56:50 No.20071020125650 削除
「髪がどうしたの? 美容院に行ったのよ。前から黒くしなければいけないと思っていたから」
「こっちへ来い」
隆一に促されて江美子は寝室に入る。隆一が棚の奥からアルバムを取り出す。
「麻里の写真はほとんど処分したんだが、理穂と一緒に写っているものは残している。今はまだ憎んでいるかもしれないが、あいつにとって母親であることは変えられないのだから」
隆一はそういいながらアルバムを開く。そこには満開の桜の木の下で並んで立っている麻里と理穂の姿があった。その写真を見た江美子は驚きに息を呑む。
理穂の小学校の入学式の際に撮ったものだろう。満面の笑みを湛えた理穂の隣でスーツ姿の麻里が微笑んでいる。麻里の髪型は今のものとは違う──江美子が今日美容院でセットされたのとほとんど同じスタイルの、黒髪のショートだった。
6年半前に撮られたその写真の麻里は現在の江美子とほぼ同年齢。顔立ちが似ていることもあって、同じ髪型の麻里は江美子にとって、まるで自分自身の写真を見ているようだ。
「これは……」
唖然とした表情で江美子はその写真を見つめている。
「理穂が生まれてからの麻里は、短いほうが手入れがしやすいからといってずっとこの髪型だった。そしてこの姿で有川と関係し、俺と理穂の元を去った」
「そんな……」
「江美子はどうして髪を切った? どうして麻里とそっくりなんだ?」
「それは……」
江美子は一瞬、麻里から紹介された美容院に行ったことを話そうかと思うが、すぐに思いとどまる。
そうすると隆一はどうして江美子があの旅行の後、麻里と接触を持っているのかについて不審に思うだろう。言い訳が出来ないことではなかったが、江美子は自分の本心、つまり麻里と自分が接触することによって彼女を隆一から遠ざけようとする意図が、隆一に悟られることを恐れた。
「……ただの偶然です」
「偶然? そんな偶然があるのか」
「私、美容師さんに『麗しのサブリナ』のオードリー・ヘプバーンのような髪型にして欲しいと頼んだんです」
「『麗しのサブリナ』……」
「すみません、子供っぽくて」
「江美子はその映画を観たことがあるのか」
「えっ、ええ……昔テレビで……」
「どんなストーリーだったか覚えているか?」
「いえ」
江美子は首を振る。
「子供の頃だったので、よく覚えていません」
「ヘプバーンが演じるサブリナというヒロインが、二人の男の間で揺れ動く話だ。そのうち一人はプレイボーイで婚約者もいる」
隆一の言葉に江美子は愕然とした表情になる。
「そんな……」
「理穂は母親のことを『ヘプバーンのようだ』と自慢していたし、小学生の頃に彼女の主演した古い映画をレンタルで借りるようねだった。しかし、麻里がこの家を出て行ってからは見向きもしない」
「私、知りませんでした」
「知らないのは当たり前だ。江美子には話したこともないし、麻里の昔の写真を見せたこともないのだから」
「私、すぐにこれからもう一度美容院に行って、髪形を変えてきます」
「その必要はない」
隆一が玄関を出ようとする江美子を止める。
「理穂は少し驚いただけだ。大丈夫だ」
「でも……」
「お互いに意識しなくても、江美子と暮らしていくうちに母親のことを思い出すことはあるだろう。そのたびにいちいちショックを受けていたらこれからやっていけない」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はない。偶然なんだろう? 江美子に責任はないよ」
隆一は気持ちが落ち着いたのか、江美子に優しく声をかける。それがかえって江美子は罪悪感に胸がえぐられるような思いがするのだった。
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