桐 10/22(月) 22:00:56 No.20071022220056 削除
「すみません……麻里さんにすっかりお世話をかけてしまって」
「私の方こそごめんなさい。江美子さん、あまりお酒がお強くなかったのね。バーテンダーが随分恐縮していたわ。そうとは知らずに強いカクテルを勧めてしまったって」
「いえ、調子に乗って飲みすぎた私が悪いんです」
「とにかく、珈琲でもお飲みになったら?」
「有難うございます」
動揺していた江美子は熱い珈琲を飲んでようやく落ち着きを取り戻す。
「あの……麻里さん」
「何かしら」
「昨夜私、何を話していました?」
「何って……」
麻里は明らかに戸惑ったような表情をする。
「随分長く話したから、お互い色々なことを話したわ」
「色々なことって……」
「全然覚えていないの?」
「いえ、お手洗いに行ったあたりから……」
「そうなの」
口元に意味ありげな微笑を浮かべる麻里に、江美子は胸騒ぎめいたものを感じる。
「セックスのことよ。主に隆一さんとの」
「そんなことを話したんですか……」
麻里は依然として微妙な笑みを浮かべている。
「私はうれしかったわ。江美子さんが私に心を開いてくれたような気がして」
「具体的には……どんな……」
「本当に覚えていないの?」
「はい」
「困ったわね……」
「教えてくれませんか」
「ちょっと素面では言いにくいわ。また今度お話しましょう」
江美子は顔からさっと血の気が引くような感触を覚える。麻里は「主に隆一さんとの」と言った。と、いうことは隆一以外の男との経験についても話したのだろうか。
江美子は基本的には酒のせいで大きな失敗したことはないが、これまで多少飲み過ぎて饒舌になることはあった。麻里に対してそんな微妙な話までしたとしたら、この前のK温泉での出来事、孝之と望まない再会をさせられたこと、そして麻里そっくりの髪型のことなどで気持ちが不安定になっていたためだろうか。
(まさか、孝之と不倫の関係にあったことまでは話していないと思うけれど……)
自分がそこまで自制心を失うとは思えないが、麻里の謎めいた微笑を見ていると、ついそんな恐れを抱いてしまう。三十二歳で結婚した自分が、過去にまったく男性経験がなかったとは隆一も思っていないが、それが不倫だったとすれば話は別だ。
麻里に裏切られたことによる心の傷がいまだに癒されていない隆一が、江美子にも不倫の過去があったと知ったらどうなるだろう。孝之には「隆一は分かってくれる」と強がったが、正直言ってその自信はない。
まして、父親を裏切った母親に対して憎しみさえ抱いている理穂は、江美子が「同類の女」であることが分かったら、決して受け入れることはないだろう。自分と麻里が離婚したことによって娘を傷つけたことを悔やんでいる隆一は、理穂をとるか、江美子をとるかという選択を迫られたら躊躇なく理穂を選ぶだろう。
珈琲を飲み終えた江美子は、不安な気持ちを抱えながら帰宅する。江美子が横浜の自宅に着いたときはすでに土曜日の昼近くになっていた。
「遅かったな」
「申し訳ありません」
玄関で出迎える隆一に、江美子は頭を下げる。
「理穂ちゃんは?」
「学校だ。今日は部活動で遅くなるそうだ」
「そうですか」
「江美子」
そこで江美子は初めて、隆一の表情が妙に強張っていることに気づく。
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