桐 11/7(水) 21:12:56 No.20071107211256 削除
月曜の6時過ぎ、隆一は渋谷の、江美子が勤務する支店の近くの喫茶店にいた。
江美子には久しぶりに昔の友人と会うから遅くなると告げている。職場には外で資料調べをするからと言い残し、直帰扱いにしてもらっている。時差の関係で休日も仕事を強いられる職務であるため、多少の融通は認めてもらっているのだ。
隆一は渋谷駅近くのデパートのトイレで、それまで着ていたダークスーツから明るい色のジャケットと替えズボンに着替えていた。ここ2、3年はあまり袖を通していなかったものである。ネクタイもわざと派手なものに変え、眼鏡も昔のセルフレームのものをかけている。髪をジェルで固めると、ちょっと見では隆一だとは分からないだろう。
(探偵の真似事までして、いったい何になるのか)
江美子が何か隆一には言えないことをしているという、はっきりとした根拠はない。また、仮にそうだったとしても今夜行動を起こすとは限らない。そして仮に今夜、江美子が何か行動を起こしたからといって、その時にどうするという覚悟が隆一にある訳ではなかった。
しかし、このところの江美子の変貌振りが、隆一をなんらかの行動に駆り立てないではいられなかったのだ。
(麻里の時は、俺が麻里に裏切られたという衝撃よりも、麻里のもつ二面性を理解出来なかったことが別れの原因となった。だから、江美子と結婚する時は、以前の失敗は決して繰り返すまいと心に決めていた)
それは理穂をもう一度傷つけたくないからだと、隆一は理屈付けていた。しかし今はそれだけでないと分かっている。隆一自身が傷つきたくないのだ。
(俺が江美子と結婚したのは、本当に江美子を愛していたからなのか。江美子なら二度と傷つかないと思っていただけなのではないか)
隆一は今、そんな自分自身の狡さ、臆病さを目の前に突き付けられる思いだった。江美子も清楚で貞淑なだけの女ではない。有川と不倫をした麻里と同様、淫奔な面をもった女なのだ。その江美子を本当に愛することができるのかと。
(いや、麻里と有川はもともと愛し合っていた。割り込んだのは自分なのだ)
江美子はそうではない。隆一と知り合う前のこととは言え、妻子持ちの男と二年も不倫の関係を持っていた女だ。麻里よりも悪いではないか。言っていることの辻褄が妙に合いすぎていることも気になる。
そこまで思考を進めた隆一は、自分の心の醜い断面に気づいて愕然とする。
(俺は何ということを……)
江美子は水上と出会った時、奴が妻子持ちということを知らなかったのだ。俺と理穂がいながら有川と関係を持った麻里と一緒にはできない。
(しかし、麻里と江美子、どうしてこう重なることが多いのだ)
共通するのは差出人不明のメール。その謎を解けば、すべてのことがほぐれていくような気がする。あれは水上からなのか、有川からなのか、それとも……。
(とにかく、江美子の変貌の理由を確かめないと前に進めない)
隆一はじりじりする思いで店の通用口を見つめる。やがて7時少し前になると、白いコートを着た江美子が姿を現す。
(出てきた)
隆一は伝票を持ってレジへ向かい、手早く勘定を済ませて外へ出る。
理穂からプレゼントされた白いマフラーを首に巻いた江美子から少し離れて、隆一は後へ続く。気づかれないように2、3人を間に入れて歩くが、思いのほか尾行というものは難しい。
江美子は六本木通りと青山通りが交差したあたりのビルの地下1階にあるバーに入る。
(店に入るか? いや、それはいくら何でも危険だ)
またどこか喫茶店にでも入って見張るかとあたりを見回したが、適当な店がない。隆一は仕方なく少し離れた場所で佇む。
渋谷の街はクリスマスムード一色である。道行く人達も心なしか普段よりもカップルの比率が高いようである。
(俺は一体何をしているんだ)
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