桐 11/8(木) 21:51:20 No.20071108215120 削除
(誰かを待っているのか)
隆一はサイドカーを飲みながら、ちらちらと二人の様子を窺う。やがてまた扉が開き、二人連れの男が入ってくる。
「いらっしゃいませ」
入って来た二人連れの男のうち一人の顔を見て隆一は驚く、この前の土曜日、横浜で江美子に声をかけた男である。もう一人の男も同じくらい、30代後半といった年齢である。麻里は二人を見つけると「こっちよ」という風に軽く手を上げる。隆一がさらに驚いたことに、江美子までが男たちに向かって微笑を浮かべている。
隆一は気づかれないように顔を伏せる。男のうち一人の後ろ頭に、目立つ傷があるのが隆一の目に入る。男たち二人はカウンターの麻里と江美子の隣に座り、飲み物を注文する。「この前は……」とか「だって……」といった男たちと麻里や江美子の声が切れ切れに聞こえて来る。
(どういうことだ)
隆一は混乱する。あの男たちは一体誰だ。一人がその水上という男なのか。
いや、そんなはずはない。横浜でしつこく話しかけて来た男に対して江美子は「人違いだ」と繰り返していた。いくら何でも過去、不倫の関係にあった男から話しかけられて「人違い」と返すことは不自然だ。考えられるのは行きずりで知り合った男に声をかけられて……。
そこまで考えた隆一は愕然とする。江美子はここで麻里と一緒に男漁りをしているというのか。
(馬鹿な。そんなはずはない。いくら何でもそんなことをする女ではない)
そんなことをする女ではない、とはどちらの女のことだ? 江美子のことか、麻里のことか? 隆一は自問する。
(どちらもだ)
自分の先妻と今の妻、ともに清楚で純真だった妻たちがバーのカウンターで男を漁るなど、考えられない。
(……本当に考えられないか?)
考えられないといえば麻里が有川と不倫をすることも、江美子が結婚前に水上と不倫をした女だったということも考えられなかった。貞淑な妻、良き母としての麻里や江美子の姿は隆一の幻想の中にだけあったのではないのか。
麻里と江美子、そして二人の男たちは親しそうに話し、時々笑い声まで上げている。江美子の笑顔だけでなく、麻里のそれまでが隆一にまるで心臓を締め付けるような苦痛を与える。
別れた妻である麻里が何をしようが隆一が文句を言う筋合いのものではない。しかし、実際に麻里が他の男と楽しげに話しているのをみると、江美子に対するものと同じような、いや、ことによるとそれ以上の嫉妬を感じるのだ。
(麻里、お前がこんなことをしているのを有川は知っているのか。もし知っているのならなぜ奴は何も言わない?)
(有川も有川だ。俺が最終的に麻里のことを諦めたのは、相手が有川だったからだ。麻里に対して変わらない愛を捧げていた有川だったから、俺は麻里を譲ることが出来た。なのになぜお前は麻里をしっかり捕まえていない)
いや、早とちりはまずい。ただの飲み友達かもしれないではないか。麻里がインテリアコーディネーターとして仕事上付き合いのある人間に、江美子は単に紹介されただけかもしれない。江美子も銀行で営業をしているのだから、人脈は重要だ。男漁りなどと決めつけるのは早計だ。
隆一がそんな風に懸命に自分自身を落ち着かせていると、男二人と麻里が立ち上がる。一瞬江美子がためらう風情を見せるが、麻里に催促されて後に続く。男たちが勘定をしている間、隆一は気づかれないように顔を伏せる。
四人が店を出るとすかさず隆一は立ち上がり、バーテンダーに声をかける。
「いくらだ」
「1300円です」
「釣りはいい」
隆一は千円札を2枚置くと急いで店を出る。地上に出た隆一は、麻里たち四人がタクシーに乗り込むのを見る。隆一は急いでタクシーを止める。
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