3番目の夫 7/18(火) 20:37:52 No.20060718203752
〔 私の手元には両親の寝室で見ていた当時の『奇譚クラブ』が
十冊ほど有ります。
これは、父が亡くなり 兄が結婚した時に両親が寝室として使っていた
納屋を取り壊すことになり 私もその手伝いに行き 片付け物を
していて偶然 贈答用のタオルの空き箱の中にしまいこんであった
『奇譚クラブ』を見つけたのでした。
こっそり家に持ち帰り確認したところ 昭和29年の頃の物が三冊あり
昭和30年のが一冊で後は昭和40年代のものでした。
どうも『奇譚クラブ』は昭和27~29年の頃に最盛期を向かえて
昭和30年のなかばに当局の発禁処分を受け 写真も少なくなり
紙面も内容もおとなしくなり しばらく低迷して昭和40年代に
また復活したようです。
内容や写真の過激さは昭和40年代のものが勝っているようですが、
私的にはやはり子供の頃『ドキドキ』して読んだ昭和20年台
後半のものにノスタルジーを感じるのです。
当時は、二十冊近くあったと思ったのですが
『惜しいことをした』と今でも悔やんでおります。
当時私は子供だったので文章を読むことはほとんどなくて
写真やイラストを『ドキドキ』しながら眺めていただけでした。
それゆえ、今手元に残った昭和二十九年の頃の三冊が、
今では一番大切なものとなっております。
そしてその三冊の内の一冊の中に偶然 写真が五枚挟んであるのを
見つけたときの驚き、喜びは今でも忘れません。
其の写真は、当然白黒で素人が普通のカメラでそして家の中で
撮ったものらしく露出もピントも甘く全体に暗く
『ぼやっ』とした写真でした。
五枚の内の二枚はいわゆる『嵌め撮り』写真で薄暗い中で
今まさに剃毛した女唇に勃起した男根を入れ様としている所と
男根が半分ほど女唇の中に入っている所の写真でした。
後の三枚は女性が半裸 もしくは全裸で縛られている写真で
モデルは何と母本人でした。
一枚目は、浴衣を半分ほど脱がされた母が、乳房を搾り出すように
胸を幾重にも縛られ鴨居から吊るされている上半身の写真でした。
その写真での母はカメラを向き笑顔で何か話している様子で
身体は責められて痛々しいのに 何故か楽しそうな写真でした。
二枚目は、母が全裸で亀甲縛りにされて
壁の前に立たされている全身の写った写真です。
口には豆絞りで猿轡が嵌められて 体をひねり
小首を傾げる様に母は苦悶の表情でカメラに
すがる様な目を向けている とてもエロティックな写真です。
三枚目は高手小手に縛られた女が頭を畳の上に付け膝立ちで
お尻をカメラに向けているのを、斜め上から撮った写真です。
(顔が見えないので確認できなかったが後で母に聞いた所嵌め撮り
写真も含めてやはりモデルは母との事でした )足の膝頭の部分を
長い棒で広げる様に縛ってあり 股が閉じられないようになっていて
これも剃毛しているため 女唇とアヌスが丸見えですし左右の
尻たぶに何か白い花の飾りのような物が三っつづつ確認できます。
この写真を母に見せたところ 「まあ! いやだわー 何処に
あったの!?・・・もう・・はずかしいわあー・・・でも、あなたが
持っていてくれて良かったわ」と言って懐かしそうに見入っていました。
「この写真の相手は親父なの?」と私が『多分違うな』と思いながら
聞いたところ 母は、写真に見入ったまま「え?・・・ああ・・・
佐藤さんよ、だってお父さんはこんなひどい事しないわよ・・・」
と言って写真をテーブルに置くのでした。
「ひどい事?」私には母の言った『ひどい事』の意味が解からずに
写真を見直すのでした。
嵌め撮り写真を除いて 残りの三枚の写真の内 一番母が辛そう
なのは、やはり鴨居から吊り下げられた上半身の写真でしょう。
上半身だけの それも乳房の上下をそれぞれ二回り位縛っただけで
身体を完全に吊る事は無理でしょうから、きっと爪先立ち位には
なっているはずです。
その証拠に胸や腕に回された縄が母の身体に
とても深く食い込んでいて苦しそうです。
しかしその写真に写っている母は、何故か楽しそうに笑顔を向け
カメラを構えた佐藤に何か話しかけているようで
とても『ひどい事』をされているようには見えません。
「???」首を捻っている私に母は、お尻のアップの写真を指差して
「これ、投げ針がお尻に刺さっているのよ。佐藤さんが自分で作った
投げ針で母さんのお尻をいじめているのよ。 ほら!こっちの
ここにも!」と言ってもう一枚の 壁の前に立たされた
母の写真の乳房を指差すのでした。
薄暗くて、その上ピントが甘いので解からなかったのですが、
そう言われて良く見るとなるほど両方の乳首の上辺りにあの
『白い花の飾りのような物』が付いているのが解かりました。
「こっちは乳首を針で刺し通しているのよ。この写真は一本ずつ
だけど、佐藤さんは母さんの乳首を引っ張って 針を二本、十字に刺す
事だってテーブルの上に乳首を刺して張り付けにする事だって
有ったわ」と母はまるで人事のように楽しそうに話すのでした。
「痛くなかったの?」
「それは痛いわよ・・刺すときも抜くときもね。 それにお尻なんか
何回も投げて刺すから血だらけになったわー・・・でも・・・それが
いいのよねー・・いじめられているって感じで
母さん本気で泣いたわー・・・でもあの人許してくれないのよ。
自分の気が済むまで母さんをいじめるのよ。・・・・・やっぱり母さん
『マゾ』なのねー・・浣腸なんかされてお腹が苦しい時なんか
『もっといじめてー針を打ってー』って
自分からお願いしちゃう事だってあったわー」 〕
八月になると佐藤の母に対する調教がより激しく本格的になり
益々母を『マゾ奴隷』として落とし入れてゆくのでした。
母は身体を物として扱われて時には傷つけられ 情け容赦なく
泣きじゃくる母を犯し佐藤の性欲を処理するためだけの
『奴隷』として調教されてゆくのでした。
剃毛も逢うたびに佐藤が自ら行い『パイパン』になった
女唇を荒々しく可愛がられると母は自分の身体が益々
佐藤の物になって行く気がするのでした。
アナルの調教もこの時から行われて 母のアヌスはすぐに佐藤の
太い男根を受け入れられるようになり 3回目のプレイで早くも
アナルで『アクメ』を感じられるようにさえなりました。
〔 アナルセックスの事を、母は「アナルセックスってねえ 始めは、
すごく熱くて痛いだけだったけど 何度かする内にいい気持ちに
なってきてアナルでも行けるようになったのよ。
始めは恥ずかしくて嫌だったけど 今では佐藤さんに感謝しているわ、
だってとっても素敵なんですもの。母さん『オマンチョ』と同じくらい
感じるのよ。」そう言って自らの尻たぶを広げて私を誘うのでした 〕
そして何時ものように『プレイ』が終わると 佐藤はとても優しく
それこそ舐めるように母を可愛がるのでした。
小遣いも毎回くれるし その上何でも好きなものを買ってくれます。
佐藤の何時もの 飴とは鞭による調教でしたが、
母はもう佐藤の言いなりでした。
その上 佐藤は八月からは、だんだん淫らな下着類を毎回 何組も
買って来る様になり次ぎに会う時に着けて来る様に母に命じるのでした。
佐藤がこの頃買ってきた下着は、普通にデパートなどで売っている
物では無く 水商売や売春婦 あるいはストリッパーが着ける様な
どちらかと言うと卑猥な下着でした。
おそらく顔の広い佐藤は、そう言った男に見せるための物、
男に脱がさせる為だけに着ける下着を専門に扱う店を
知っていたのだと思います。
今でこそ シースルーのパンティーや紐パン、スキャンティーや
バタフライなど何処でも手に入るし 普通の女の人が穿きますが、
当時ではそう簡単に手に入るものではなかったようです。
もともと好き者の母はそれらを喜んで身に着けるのでした。
そして必然的に母の箪笥の中は、色とりどりの
卑猥な下着で一杯になるのでした。
八月に母は、だいたい6日程(お盆にかけては三日続けて)佐藤と
セックスをしましたが、佐藤が富山の現場へ行ってしまい
一人になると さすがにこれからの生活について考えてしまうのでした。
ついこの間まででしたら 父が帰ってくれば佐藤との情事は、
夢の中の出来事として忘れられると思っていましたが、
今になって思い起こせば ドップリと佐藤の『精処理女』
『マゾ奴隷』に成ってしまった自分を思い知るのでした。
これから父との生活の中でも 佐藤から『精処理女』として
呼び出しがあれば、断りきれずにパンティーを濡らして 佐藤に
抱かれに行くだろうと思うと さすがに父や子供達にすまない
気持ちになり 自分が嫌な女に成ってしまったと後悔するのでした。
かと言って 今の生活を全て捨てまで佐藤の女に成りきる
勇気も有りません。
八月は子供達が夏休みで いつも家にいて母を和ませてくれました。
近所の人達も相変わらず家に訪ねてきては、
日がな一日お茶飲み話に花を咲かせていきます。
そしてお盆だの何だのと親戚の人も家を訪れ にぎやかな日々を
送っていると母の心の中に普通の生活の幸せが、身に染みて来るのでした。
特に隣の『K市』にいる 叔父と叔母は(叔父が父の叔父で、
叔母が母の叔母で、二人を引き合わせ結婚させたのもこの夫婦でした)
父が居なくては不便だろうとしばしば家を訪れては、
母に気を使ってくれるのでした。
そんな叔父達がある日訪ねて来て「この前、夜に来て見たがお前
留守だったな」と言われて母は体中から冷や汗が吹き出る思いでした。
勿論その日はお盆中にもかかわらず、
いそいそと佐藤に抱かれに行った日でした。
夫にも叔父夫婦にも顔向けできない痴態を繰り広げていたこともあり
さすがに良心の呵責で胸が痛むのでした。
そう言う人達に囲まれて生活していると、
佐藤との破廉恥な浮気に身を焦がしている自分が
とても汚くいやらしい女に思えてくるのです。
そして子供達と今日あった楽しい事など笑いながら聞いていると
この幸せな生活を壊したくないと言う思いが膨らんで来て
佐藤とは今度こそきっぱり別れようと心に誓うのでした。
しかしそんな母の思いなど老練で計算高い佐藤の前では、
またしても通じるはずは無いのでした。
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