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北原夏美 四十路 初裏無修正

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−−−②夜空

彼女の実家は東北の寂れた炭鉱町にありました。
その地方都市の中心部にある駅から1時間以上もバスに揺られて行った…。
そんな記憶があります。

その町がまだ往時のように石炭を産出していたのかは分かりません。
ただ、活気がある町とは言えませんでした。
真っ白い残雪と対照的な黒い板張りの住宅が規則正しく並ぶそんな風景が、ある目的を持って生まれた場所である事を物語っていました。

彼女は長屋の一画の家の引き戸を開けると途端に東北訛りになりました。
実際の会話はその地方独特の訛りで交わされていますが、私にもそのニュアンスは多少ですが伝わりました。

彼女は玄関に出迎えた母親に、私が会社のアルバイトの子で、こっちに旅行に来たついでに荷物を持って貰ったのだと紹介しました。
母親は重い荷物を持たされて大変だったでしょうと私を居間に上げてくれました。

座敷に上がると彼女の父親にジロッと睨まれました。

「この子、あんまりお金持ってないのよ。 今夜は泊めて上げていいでしょ?
 明日、お礼にお城を案内してあげるって約束しちゃったの」
「泊まるってドコにだ」
「私の部屋。 さ、こっち、こっち」

彼女の部屋は一番奥の部屋でした。
家の中をだるまストーブの煙突が横切り、どの部屋もとても暖かく感じました。
その家は玄関と台所、居間、お兄さんの部屋、彼女の部屋と、縦に走る廊下に沿って並んでいました。
彼女は部屋に入るなり私に抱きつき唇を重ねてきました。

「お父さん、怒ってるみたいだ」
「いつもあんな風だから気にしないで(笑)
 あ、お風呂行ってきなさいよ。 この町のお風呂は共同浴場でタダだから(笑)」

彼女に勧められるまま、ドテラと私には小さ過ぎてカカトの入り切らない長靴を借り、タオルをマフラー代わりにして風呂屋に向かいました。

シーンと静まり返る町に私の長靴のパコパコという音が響きました。

そこはごく普通の小さなお風呂屋さんという感じでした。
違いがあるとすれば番台に誰も座って居ない、ということでしょうか。
時間も午後3時頃と早かったせいか中は私一人でした。

私が大きな浴槽に浸かっていると片肌に刺青をした男の人が入って来ました。
そして体を流し風呂に入ってくると、一目見てこの町の人間じゃ無いと判る私に話し掛けてきました。

「あんちゃん、どこからだ?」
「……です」
「おー、うちのひとみと同じかい(笑)。 そーか、俺の妹もな、今日…」
「その、ひとみさんを送って来たんです。 旅行のついでに…」

刺青を見てスッカリその手の職業の人だと思った私は、もう怖くて怖くて彼女に口裏を合わせるしかありませんでした。

「はー? あっはっは。 そうかぁ、ひとみにこんな可愛い坊やがおったんかぁ(笑)』
「いえ、そんな間柄じゃあ…」
「ええよ何でも。 そうか、ひとみが…(笑)。 おい、あんちゃん! 背中流してやっからコッチ来なっ!」
「あ、いえ…」
「いいから、いいから。
 アイツはな。 今までウチに誰かを連れて来た事なんて一度も無いんだ。
 こんな汚ねぇトコまで連れて来たってことは…
 少なくとも、あんちゃんがひとみに嫌われてる奴じゃ無ぇってことだ。
 だろ?(笑)
 さ、座れ」

半ば強引に背中を流されました。 私もお返しせざるを得ませんでした。
私はその人の背中を流し始めました。

「知ってるよな?
 ひとみはな今度結婚するんだ…
 あんな男だか女だか判らん奴と…」
「は…はぁ…」
「あんちゃんはいい体してっけど、金は持ってなさそうだなぁ(笑)
 学生さんか? そっか。
 お、ありがとよ。 さ、帰るか」

風呂屋のまん前に、地べたに張付きそうなくらい無茶なシャコタンにした車が停まっていました。
チェーンは巻いてあるけど…、とても雪道を走れるとは思えませんでした。

「さ、乗んな」
「あ、はい」

それはもう、雪道にガタンガタンと突き上げられるように走り、彼女の家までほんの僅かの距離を走っただけで尻が痛くなるほどでした。

「ひとみー、坊やと風呂で会ったぞー」
「はーぃ…。 もう、お兄ちゃんと会っちゃったの? 驚いたでしょ(笑)」
「うん。 あ、いや…(汗)」
「なに言っとる。 この坊やに背中流してもらっただけだ。 なぁ?(笑)」

町を出て行く家族が多い中で、彼女のお兄さんは炭鉱で働く残り少ない人の一人でした。
彼女の父親は体を痛め炭鉱の仕事からは遠ざかっているんだそうです。
その父親は相変わらず民放の映らないテレビを見ていました。

夕食が用意され酒を勧められました。
彼女が母親とお兄さんと楽しそうに話を続けている間、私は時折り曖昧に笑うのが精一杯でした。
その地方の訛りの強い言葉を私が理解できる部分など殆ど無かったからです。

すでにかなり酔っていました。

食事が終わり、コタツの上の片づけが済むと、彼女は酔い醒ましに散歩に行こうと私を誘いました。
またドテラと、私には小さ過ぎてカカトの入り切らない長靴を借り、パコパコと音を立てながら彼女の後に続きました。

外は雪灯りで道が光っていました。
所々に在る小さな街灯と、残り少ない家族が住む家の窓から漏れる灯り以外何もありません。

「すぐそこに私の通った小学校があるの」

彼女は白い息を吐きながら指を指しました。
通りの外れに小っちゃな木造校舎の小学校がありました。
彼女は私の手を引くと除雪された道を辿り、広い校庭の真ん中まで私を連れて行きました。

両側に除雪した雪がうず高く積まれ周囲の灯りを閉ざしました。

「ね、見て」

彼女が空を見上げました。

『うっわぁー、すっげぇーっっっ!!!』

雪で切り取られた空。
そこには満天の星が広がっていました。

「ほらっあそこっ!」

こんなにも星というものは降るものなのでしょうか。
しばらく見上げている間にも星が一つ二つと蒼い空から剥がれ落ちてきます。

「ね? これならお願い事する時間、たっぷりあるでしょ?(笑)」

彼女が笑いました。

「ホントだ。 でも、もういいんだ。 叶わないこともあるって解ったから(笑)」

彼女の顔が少し曇りました。
私はそれを見て、しまった、と思いました。

『ごめん…』

二人の言葉が重なりました。

彼女は私の胸に顔を埋めると私の手を握り締めました。
彼女が顔を上げ、そして私がその瞳を見つめると自然に唇と唇が重なりました。

やがて私の手をぎゅぅっとさらに強く握ると肩を震わせ始めました。
彼女の涙が私の唇にも流れて落ちていきました。

私は残る手で彼女の背中を抱き、そしてまた空を見上げました。

星達はまだそこに…。

そして流れ星がまたひとつ…。

(代りに何か言ってくれ…)

私が何かを言葉にすれば…きっとまた…彼女を泣かせてしまう…。

その背中を強く抱き締めながら、私は彼女の嗚咽が収まるまでその場所に立ち尽くしていました。

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