②【リップクリーム】
早朝、民宿に着くとそれぞれの部屋割りに従い荷物を降ろし、民宿で用意したおにぎりと味噌汁という簡単な朝食を済ませると、再びバスに乗り込みスキー場へと向かいました。
私は、先輩達を含む馬鹿仲間と共にスキーを楽しみたかったのですが、スキー初心者の由香里と恵美、そして総務課の真理子の面倒を見るはめになりました。
真理子も恵美同様、由香里とは同期入社でしたが、四年制大卒ということもあり由香里達は年上の彼女を姉のように慕っていました。
残念なことに真理子だけはスキーが2回目と言うことで、やっとボーゲンができる程度でした。
私達はファミリーゲレンデで特訓をすることにしました。
多少は滑れる由香里も恵美も、チマチマとした基本から練習する真理子に付き合うのに飽きたのだと思います。
一時間もすると『真理ちゃんを宜しく』と言い残すと、さっさとリフトに乗り山頂へと向かってしまいました。
ファミリーゲレンデには私と真理子だけが取り残されました。
『ごめんなさい。美由さんも皆と一緒に上に行きたいでしょ?』
『いや、気にしなくていい。こうなったらアイツ等より上手くさせてやる(笑)』
私は自分のストックを雪に刺すと彼女の腰を持ち、彼女のスキー板を挟み込むようにして、パラレルターンの練習を繰り返しました。以前、彼女に教えた者の教え方が悪かっただけなのかも知れません。あるいは、彼女のカンの良さに救われたのか…。
体重移動と踏み込みのタイミング、それを体に覚え込ませると彼女は面白いほど上達の度合いを早めていきました。
『スピードが乗りすぎたと思ったらボーゲンにして! 怖がらないでっ! 腰を引かないっ!』
『自分の行きたい方向だけを見てっ! 体より気持ちの方を先に行かせる感じでっ!』
『上手な人の姿勢を真似してごらん。スキー板が勝手に体を運んでくれるから。』
こんな指導方法でも充分でした。
午後になる頃には、彼女はコブさえ無ければ中級コースの斜面でも充分一人で滑り降りることができるようになっていました。
何より、彼女自身がそのことに一番驚いていました。
『すっごく楽しい!』
『そうか。 じゃ上級コース行ってみるか? 度胸さえありゃなんとかなる(笑)』
『はいっ! 先生が一緒なら(笑)』
私達はリフトで他愛の無い会話を交わしながら、山頂へと向かいました。
さすがに上級コースを上から見下ろした時、真理子は少し怯えたようでした。
スキーはある意味、恐怖心との戦いなのかもしれません。
彼女にとって唯一の救いは、ここの上級コースは他のスキー場に比べると比較的斜度が緩いということでしょうか。
『斜滑降でゲレンデを斜めに横切る。ゲレンデの端に付いたらキックターン。それの繰り返しで下まで行くから。大丈夫、君なら出来る。じゃ、あそこで待っているから真っ直ぐ向かって来て。エッジを効かせていれば滑り落ちることも無いからね。』
私が先に滑り出しました。そして、ゲレンデの反対側の端に着くと彼女に向かいストックで合図をしました。
彼女は度胸もある子でした。大きく深呼吸をすると、躊躇うことなく私に向かって滑り出しました。
『同じ事を何回か繰り返せばこの斜面を抜けられる。ここより急な斜面なんかこのスキー場には無いんだから、きっと自信が付くと思う。』
私達はタラタラとした滑りではあるけれども、とりあえず上級コースを制覇することができました。
『私、こんな急な斜面を一度も転ばずに降りてこれたんだ…。』
彼女は上級コースを下から見上げ、狙い通り多少の自信をつけてくれたようでした。
『どうする? もう、由香里達と合流しても大丈夫だと思うんだけど。 君がここを滑って降りたって知ったら驚くぜぇ(笑)』
『う…ん。でも、先生さえ良かったら、もう少しだけ教えて欲しいな。』
『そっか…、じゃ、中級コースに抜けてみようか。 きっと、ここを滑り降りた今なら、何てこと無い斜面だと感じるはずだ。』
『うんっ!』
私達は普通なら30分くらいで滑り降りることができる麓のセンターハウスまでの道のりを、真理子のペースに合わせ二時間くらい掛けて降りてきました。
スキーに自信を付けた子が皆そうであるように、センターハウスでコーヒーを飲みながら休憩している間も、真理子はまだ滑り足りないようでした。
私は彼女を連れ、集合時間までの時間に戻るにはちょうど良い所要時間の、緩斜面が続く林間コースへと向かいました。
林間コースはダラダラとした緩い斜度が続く道幅の狭いコースで、それが不評なのか、私達以外その前後には誰も滑っていませんでした。
彼女は私の後に続き、私がペースを上げてもそれについて来られるだけの上達振りを示してくれました。
途中途中ゆっくり滑りながら、お互いの股間をすり抜けて滑ったり、ストックを繋いで引っ張って滑ったりと、一通りのスキーでの遊び方も教えて上げることができました。
そして、あともう少しで林間コースを抜けようとした時です。
『先生、待って!』
真理子が私を呼び止めました。彼女はスキー板のビンディングを外すと、私の元に走って来ました。
『今のうちに今日のお礼しておかなくちゃ(笑)』
あっという間もなく、私の唇に彼女のつけていたリップクリームが残りました。
『もっとお礼したいけど由香里に悪いから。それじゃ後もう少しだけ、私にお付き合いください。』
彼女はクスッと笑いながら、わざとらしくお辞儀をしました。そして自分の板のところに戻ると、また私を呼びました。
『先生! ビンディング留めて!』
(あのな) 私は苦笑しながら自分のビンディングを外すと彼女の所まで戻りました。
『もうっ! ワガママばかり言うと置いて行くからなっ!』
『大丈夫。 先生だけは私を見捨てたりしないから(笑)』
『ばか。 さ、ここにブーツを乗せて。 靴底の雪を落とさないと。』
私は彼女の足元に跪くと、その片足を自分の太腿の上に乗せ、ブーツの靴底に噛み込んだ雪をこそぎ落とし始めました。
『もう、大好きっ!』
突然、彼女が無理な姿勢で抱き付いてきました。その弾みで、二人とも山側の新雪の中に倒れ込むことになりました。
そして、気が付けば再び彼女に唇を奪われていました。
私は反射的に唇の中に彼女が差し入れてきたものを舌で受け留めてしまいました。
その時は、由香里のことも思い起こすこともありませんでした。
男の性からか、ただ目の前の真理子が愛しい、そう思っていました。
彼女の普段の姿からは想像は付かない激しさで口付けは繰り返されました。
私の手は、当然のように彼女の胸を、そのスキーウェアの上から確かめていました。
『あ、駄目…欲しくなっちゃう…』
彼女のその言葉で我に返りました。彼女の体を最後にぎゅっと抱き締めると言いました。
(ごめん、帰ろ。 きっとみんなも戻り始める…。)
彼女はコクッと頷き、私の体の上から体を起こしました。
私は起き上がると、まず、彼女の体に着いた雪を払い始めました。
『ね、いつか…』
『ん?』
『ううん…。 あっ! 先生の背中、ど下手なスキーヤーみたいに雪だらけだよ(笑)』
『あのな、それに気付いたら払えっつの。てゆか、その先生っての、やめてくれ(苦笑)』
『やだ。ずっと言う(笑)』
私達がセンターハウスに戻った時、集合時間までは、まだ小一時間ありました。
大半のメンバーもまだ戻って来てはいないようです。
由香里と恵美も居ませんでした。どうやら皆、リフトが止まるまで滑り続ける気のようです。
『それじゃ先生を開放して上げよっかな。滑って来たいんでしょ?』
『んー、どうしようかと思ってさ。』
『行って来て。 私、寂しいけど待ってる(笑)』
『俺が行きにくくなる事言うなよ(笑) んー…悪いっ! ちょっくらテッペンまで行って戻ってくる。』
『はいはい、気をつけて。 私、センターハウスから見てるから。』
私は待ち行列も殆ど無くなったリフトを乗り継ぎ、ひたすら頂上を目指しました。
日が暮れ始めようとしていました。
灰色の空を見つめながら、真理子のことを考えていました。そして恵美のことも。
みな、由香里繋がりの子達ばかりでした。
入社してから今まで、私が会社の女の子達に近付く事などまったく無かったのです。
きっかけはおそらく、彼女達が入社した直後に開催された組合主催の新入社員歓迎パーティーの夜の事だと思いました。
彼女達三人が悪酔いした上司にセクハラされていたのを助けてあげた、ただそれだけのことです。
最初、パーティー会場の片隅で、由香里がスカートを捲くり上げられ小さな悲鳴を上げました。
真理子は胸を鷲掴みにされました。やがて恵美に抱きついたりと…。
そんな酔っ払いは、どこにでも居るものです。普段お人好しに見える人ほど豹変するものなのかも知れません。
私は彼女達を見知った振りで声を掛け、その上司らしき男から遠ざけました。
そして、人目に付かぬ様、無言でその上司の腕を取ると有無を言わさずロビーへと連れ出しました。
辺りに誰も居ないのを確認すると襟首を掴み直し、吊るし上げるようにして玄関に、そしてそのまま外へと放り出しました。
『いいか、お前のような奴は酔いが覚めるまで二度と入って来るな。』
誰の上司だろうと私には関係ありませんでした。
私はそのことで会社をクビになるなら、所詮その程度の会社なんだと簡単に諦めていたと思います。
何か喚いているその男を無視してドアに施錠するとロビーを振り返りました。
彼女達は恐る恐るといった感じでロビーに出て来てしまっていました。
『ごめん。あの人も普段は好い人なんだけどな。』
はっきり言って他部署の奴の事など知りはしませんでしたが、そうフォローするしかありませんでした。
『君ら、お腹空いてない? それとも何か飲む? タダなんだからさ、遠慮しないで飲み食いしないと損だよ?(笑)』
『私、お腹ペコペコ(笑)』 確か由香里がそう言いました。
『それじゃ、誰かに持って来させよう。』
彼女達を促し会場に戻りました。
そして、職場の後輩の何人かに頼み彼女達にオードブルと水割りを届けさせました。
後輩達はそのまま彼女達の相手をしてくれました。
その日を境に、彼女達は廊下ですれ違う時、私に挨拶をしてくれるようになりました。
私と同期入社の女の子以外でそんなことしてくれるのは彼女達が初めての事でした。
彼女達と私を結ぶ線といっても、ただそれだけのことだったのです。
リフトが頂上に着きました。
(急がないと集合時間に間に合わない…)
恵美の乳房と真理子の唇の感触を振り払うように、私はコースに飛び出していました。
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