第四章①暴力の衝動
女性が結婚もせず7年も会社に居れば、いわゆる『お局さま』として扱われ、周りの女子社員からは浮いた存在になってしまうのが普通かも知れません。
ですが、私の部屋を訪れるようになった真理子の場合は少々違いました。
彼女は持ち前の聡明さで総務全般の業務に精通していました。
後輩の子達にも慕われ、彼女は常にその中心に居ました。
総務部全体を見回しても彼女無しには業務が立ち行かなくなるほど彼女は重用され、女子としてはめずらしく責任ある役職を与えられていたのです。
今で言う総合職の先駆け的存在でした。
私自身も社内行事であるスキーやキャンプの日程、予算の関係で彼女と二人で打合せをする機会は多かったのです。
当然のことながら彼女自身もそれらイベントには必ず参加し私をサポートしてくれました。
夜遅くまで打合せをした時などの帰りがけには共に食事をしたり自宅まで送り届けたことも何度かありました。
他の男性社員に比べれば、私は彼女とは一番親しい存在だったのかも知れません。
社内での言動を見る限りでは彼女の性格は由香里とはまったく正反対のものだったと言えます。
聡明でありながら奥ゆかしく、つつましい。
女房にするならおそらく一番と呼べるタイプでしょう。
ただ、女は少々足りないくらいでちょうどいいと思っている男達にとっては彼女の聡明さは男に引け目を感じさせ、近寄りがたい印象を与えてしまうようでした。
実際に話をすれば、冗談にも機知に富んだ受け答えをし、とても気さくな一面があるにも関わらず、女性ばかりの職場という環境のせいもあったかも知れません。
彼女に特定の相手が居るという噂は聞いたことがありませんでした。
由香里と婚約した数日後…だったかと思います。
彼女に因むちょっとした事件、というか出来事がありました。
その日も、彼女と秋季キャンプの日程について打合せを済ませた後、いつものように駅前の繁華街で食事を済ませ、私の車に向かいながら歩いてしました。
彼女はいつも半歩後ろをついて来る。
そんな子でした。
「あ、そうそう。 由香里と婚約したんですってね。 おめでとうございます(ペコリ)」
「あ、うん。 ありがと(照)」
「幸せにしてあげてくださいね? 彼女、同期で一番早く婚約したから、みんなも注目してるの(笑)」
「そ、そか。 責任重大か、俺」
「そうですよ、責任重大(笑) でも…ショックだったぁ」
「何が?」
「だって美由さん、女の子に興味無いって態度してたし、まさか会社の子と一緒になるなんて思っていなかったから」
「自分でもそう思ってる。 なんでこんなことになっちゃったのか不思議だ」
「私が一番チャンスが多かったのにな…。 ね、私にも美由さんみたいな人、現れるかな?」
「ぉぃぉぃ。 由香里といい、君といい…。 君ら、何か変だぞ。 何でそんなに俺のことが…」
「だって、元ファンクラブの一員だもん(笑) 恵美ちゃん入れてたった三人のファンクラブだったんだけど(笑)」
「何だそりゃ…しかも「元」かよ(苦笑) 君らの考えてるこた、良く解からん」
「悔しいけど相手が由香里じゃ仕方無いかなって。 で、ファンクラブも解散(笑)」
「君には俺なんかより、もっといい人が見つかるって」
「そうかなぁ…。 あ、嫌っ!」
「ど、どした?」
「お尻…掴まれた…」
「え? 触られたんじゃなくって、掴まれたぁ???」
私は、今にして思えば、どっちでも良いようなトンチンカンな質問をしていました。
見ると酔っ払い達が通り過ぎざまに彼女のお尻を握ったようです。
「いい女連れてるからって、道の真ん中でカッコつけて歩いてんじゃねえぞ、おい。 姉ちゃん、俺とオメコしよー。」
酔っ払い達は上機嫌のようです。 私は彼女の肩を抱えその場を立ち去ろうとしました。
「黙ってないで何とか言え、コラ」
そのうちの一人が私の腕を掴んできました。
私の腕を掴むその手を見つめながら、暴力の血が静かに沸騰するのが判りました。
(抑えろ…。 相手はたかが酔っ払いだ…)
「だいぶ酔っちゃってるようだし、それくらいにして勘弁してくれませんか」
「キャッ! やめてっ!」
別の男が酔いに任せ彼女の胸を揉みながら口を尖らせキスを迫っていました。
他の二人がそれを見て、はやし立てています。
(四人…か。 まったくサラリーマンっていう奴ぁ…)
『痛てっ!』
男のアゴを掌で押し上げ腕を払うと彼女にまとわり付く男の襟首を持ち、そのまま後へ引き倒しました。
『走れっ!』
私は彼女の腕を掴み引き寄せ、その体を抱えるようにして走り出しました。
近くの駐車場に停めてあった車に辿り着くと彼女を乗せエンジンをかけました。
男達に取り囲まれ余程怖い思いをしたのでしょう。
彼女は青ざめた顔をして涙ぐんでいました。
「大丈夫? ケガは無い?」
「怖かった!」
彼女が私に抱きついてきました。
体が小刻みに震えています。
私は彼女の背に手を添えました。
「ごめん。 怖い思いをさせてしまった。 俺がもっと気をつけていれば…」
「あ、ごめんなさい。 いえ、もう大丈夫です。 でも、驚いたぁ。 一時はどうなることかと思った」
彼女にやっと笑顔が戻りました。
(彼女を先に庇うべきだった…)
自分の状況判断の甘さを悔やみました。
(それにしても…)
私の怒りは収まりそうもありませんでした。
嫌がる真理子の尻や乳房を掴んだ事が許せなかった。
酒の勢いを借りて人の嫌がることを平気でする奴らが許せなかった。
「ごめん…ちょっと待ってて。 さっきの店に忘れ物をしたらしい。 取ってくる」
「あ、はい」
私は彼女の好きそうなジャンルのカセットをかけると上着を脱ぎ、先程の酔っ払い達が居た場所に戻りました。
酔っ払い達は相変わらず道行くアベックやら女性にちょっかいをかけては気勢を上げていました。
私は一番後ろを歩いている、先ほど彼女に抱きついていた男の後襟を掴むと、吊り上げるようにして横の路地に押し込みました。
そして、その男の首を掴むと腕を伸ばしたままコンクリートの壁に押し付けました。
「いい加減にしとけ。 お前らもどっかのサラリーマンだろう。 もうこれ以上他人に迷惑を掛けるな。 俺はお前らのように酒を飲むと気が大きくなるような奴らが一番嫌いなんだ」
男は首を掴んだ手を振り解こうと必死で私の腕を掴みもがいています。
私は腕を取ろうとした男の手首を掴むとそのまま外側に捻り上げました。
「ったたた!」
「わかったか? これに懲りたら今日は大人しく帰れ。 いいか」
男は一転して怯えた目で私を見つめるとコクコクッと頷きました。
「おーぃ、小便かぁ…? あ、コイツ!」
他の三人に見つかってしまいました。
私は掴んでいる男の首をさらに強く壁に押し付けました。
「奴等に俺に手を出すなと言え。 これ以上俺を怒らすなと」
男は爪先立ったまま首を縦に振りました。
私は男を解放すると三人に向かってその男を突き飛ばしました。
「コイツは今日はもう帰ると言ってる。 お前らもそうしろ」
「ふ、ふざけるなっ!」
「お前か…。 酔っているから大目に見てやってるんだ。 粋がるのはやめとけ」
「何ぃっ!」
私に殴りかかろうと男が踏み出した足を、地に付く前に体の内側に払うと男はその場で一回転して転がりました。
地面に肘を打ち付けてしまったようでした。
うずくまったまま肘をさすり唸っています。
残る男達は何が起きたのか解からずに、ただ口をパクパクさせているだけでした。
「いい歳しやがって…。 悪いがお前らの相手をしてる時間が無い。
タクシーを呼んでやる。 今日はもう帰れ」
片手に一人ずつ後襟を掴み引っ張るようにして路地から出ると、通りかかったタクシーを拾いました。
「お前もそいつを連れてサッサとコッチに来い!」
男達はすっかり酔いも覚めてしまったようです。
スゴスゴとタクシーに乗り込みました。
「運転手さん、コイツらを天国まで」
どこかに『天国』という店が本当にあったのかも知れません。運転手は頷くとドアを閉めました。
私はタクシーが走り出すのを見届けると、彼女の元へと歩き出しました。
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いったい、いつからだ、時折暴力の衝動に自分が抑え切れなくなってしまうようになったのは…。
学生時代、自分達から喧嘩を仕掛ける事は無かったが、売られた喧嘩は皆喜んで買っていた。
当時は喧嘩もスポーツ感覚で、実戦の練習代わりとばかり、皆思う存分投げ飛ばしていたのだ。
弱い者、足手まといになる者を先に逃がしておいてから喧嘩に戻る。
そんな事、基本中の基本だぞと先輩達にはそんなことまで嫌と言うほど叩き込まれた。
その頃付き合っていた「ひとみ」がチンピラに絡まれているのを見た瞬間、私の体が勝手に動いていたことがあった。
気がつけばそのチンピラは私の足元に転がっていた。
「ひとみ」にその時、怪我は無いか、もう喧嘩なんかしないでと、散々泣かれた。
私は愛する人に二度と心配させるようなことはしないと、そう誓ったはずだった。
だが、時としてその抑制が効かなくなる。
相変わらず、自分の身近な人間が酔っ払いやチンピラに絡まれ侮辱された時など、二度とそんな真似が出来ぬよう完膚なきまでに叩きのめしたくなる…。
いつからか私は、せめて自分の体の中に暴力の血が逆流するところは、私を知る者達の前では決して見せまいと思うようになっていました。
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車に戻ると彼女は私の上着を掛け、音楽を聴きながら眠ってしまったようでした。
(この子も「ひとみ」と同じように泣くのだろうか)
静かに寝息を立てる真理子の横顔を眺め、そんなことを思いながら私は彼女を起こさぬよう静かに車を出すと、彼女の住むマンションの方角へと車を向けました。
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