[2350] 隣の芝生 2 投稿者:石井 投稿日:2005/10/31(Mon) 20:45
妻を見る目が少し違うと思いましたが、優しく微笑む顔から厭らしさは感じませんでした。
「失礼ですが年齢をお聞かせ頂けますか?」
「私が40歳で妻は36歳です」
明らかに妻のほうを見て聞いたのですが、その事が面白くなくて私が答えると、ようやく私を見
て会社の事などを聞いて来ましたが、やはり隣の妻を気にしている様子でした。
「宜しければ中を見ていって下さい」
私達はどうも合格したようで、片山は先頭に立って中を案内してくれたのですが、私達を気に入
ってもらったと言うよりは、妻を気に入った様な気がして成りません。
しかし外観だけでなく、内部も築5年とは思えないほどきれいで、断るには惜しい気がします。
「私は井上さんご夫婦のような方に、是非お隣さんに成って頂きたいです。畳や襖、壁紙なども
新しく張り替えましょう。そうだ、ユニットバスやトイレの便座も新しくしましょう。誰が使っ
ていたか分からないお風呂では、ゆっくりと疲れを取る事も出来ないでしょうから」
私の迷いを断ち切るかのようにこの様な事を言い出しましたが、確かに知り合いから譲ってもら
う場合でも、この様な好条件は無いでしょう。
「あのー、以前何家族か・・・・・・」
私は条件が良過ぎて逆に、あまり気にしなかった事が気に成りだしました。
「聞かれましたか。5年で3家族も引っ越した。どうしてだろう?そう思われるのも当然です。
幽霊でも出るのではないかと?」
「そんな事は・・・・・・」
「ハッハッハッ。幽霊なんか出ません。もしもそうなら、一度私も見てみたいです。最初の方は
離婚されて手放されました。次の方は遠方への急な転勤。その次の方は理由まで聞きませんでし
たが、おそらくローンが払えなくなったのかと・・・・・・・・。私は隣におかしな方が住まわ
れるのが嫌で、その度にこの幼馴染みに頼んで買い戻してきました。この歳になると損得よりも、
お隣さんとも仲良く暮らしたいですから」
「日当たりは良いし、庭には夢だった芝生が敷かれていて申し分は無いのですが、どうしても妻
がパートに出なければ駄目ですか?」
「あなた待って。それは願っても無いお話だわ。私は働きたかったから、どちらにしても探さな
ければ成らないと思っていたし」
「そう難しく考えないで下さい。一応条件に書きましたが、この家があなた達の物になったらそ
の様な強制など出来ません。私としては奥様のような方に来て頂きたいのですが、契約書を作る
訳でも無いので、今だけの口約束で、来てくれるかどうかは強制しせん。当然来てくれても仕事
が合わなければ、いつ辞めても自由ですし」
娘の卒業を待って、私達は引っ越してきました。
引っ越した翌日に庭に出てみると、隣とは簡単に跨げる境界線程度の低い塀が有るだけなので、
我が家の10倍は有るかという庭が丸見えです。
やはりそこにも芝生が敷いてあり、まだ肌寒いというのにデッキチェアーに寝転んで、日光浴を
していました。
「こんにちは」
「やあ、石井さん。住み心地はいかがですか?これは失礼しました。まだ昨日引っ越されたばか
りでしたね」
「いいえ。静かだし快適です。本当にありがとうございました」
片山にお茶を勧められ、隣のデッキチェアーに座ると、きちんと化粧をした私と同じ歳ぐらいの、
可愛い顔をした上品そうな女性がお茶を持ってきてくれました。
「奥様・・・ですか?」
「いいえ私は・・・・・・」
「残念ながら違います。こんな若い妻がいれば嬉しいのですが。家内は6年前に病気で亡くなり
ました。娘も20年も前に遠くに嫁ぎましたし、息子も『スーパーの親父になんか成りたく無い』
と言って勤めに出たので、今は仕事の関係で外国に住んでいます。魚をさばく事以外は何も出来
ないので、彼女に世話に成っているのです」
「由美子と申します。よろしくお願い致します」
内縁の妻と言う言葉が頭に浮かびましたが、彼女が家の中に入って行くと、それを見透かしたか
の様に小さな声で言いました。
「勘違いしないで下さいよ。この歳でその様な元気は有りませんから。家内が亡くなってから、
あちらは男として、使い物に成らなくなってしまいました。情け無いかな、今はオシッコをする
為だけの道具です。寂しい限りですが仕方有りません。ハッハッハッハッ」
まさか妻が32歳も歳上の男と、どうにか成ってしまうとは思いませんでしたが、あの妻を見る
目が気に成っていた私は、それを聞いて安心しました。
娘の入学式の翌日からパートに出た妻は、14年近く働きに出た事の無かった疲れも見せずに、
毎日が凄く楽しそうです。
「そんなに楽しいか?」
「ええ、近いから歩いて通えるし、みんな良い人ばかりで社長も優しいし、遣り甲斐の有る部署
にまわしてもらえたから、言う事無しだわ」
「レジでは無いのか?」
「商品管理。月末は残業に成る事も有るらしいし、商品入れ替えの時は、閉店以降にするから夜
中までかかる事も有るらしいけれど、年中無休が売りのスーパーだから仕方が無いの。でも普段
はレジの人よりも楽だし、レジの人達はシフトを組んでいてほとんど日曜が休みに当たらないけ
ど、私は2日ある休みの内1日は日曜にしてもらえたから贅沢は言えないわ。社長が『石井さん
は手際も良くて飲み込みも早いから、もう少し慣れたら正社員に成ってもらって、全て任せたい』
とまで言ってくれたので、凄く遣り甲斐があるわ」
「遣り甲斐は良いが、正社員になると帰りが遅く成るだろ?月末などの特別な場合は仕方ないが、
沙絵が中学の内は6時までだと言う約束を忘れるな」
この様な良い家を安く買え、今までよりも30分早く起きなければならない事さえ我慢すれば、
高速バスは必ず座っていけるので満足していたのですが、何より妻が以前よりも明るく張り切っ
ている事で、この時の私はこの幸運に感謝していました。
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