[3887] 鬼畜 投稿者:鈍 投稿日:2006/01/06(Fri) 08:08
酒を飲みながら、昨年の正月を思い出していました。
一人で過ごした侘しい正月を。
私は結婚して妻の家に入りました。
それは妻が高校3年生の夏に父親が急死して母子家庭だった為に、妻の母と妹の経済
面を考えての事です。
名字こそ変えなかっただけで実質婿養子の様な形ですが、妹も妻とよく似ていて可愛
く、母も妻を21歳で産んでいた為に若く綺麗で、父親と兄2人の男所帯だった私に
は、居心地の良い生活でした。
その後2人の子供にも恵まれ、妻は子育てとパートで忙しいながらも、明るく元気一
杯の生活を送っていたのですが、下の子供が幼稚園の年長になった時、出張から帰る
と妻は暗く元気が有りません。
「何か有ったのか?」
「あなたには妹の結婚費用まで助けてもらったし、あなたに私の家族を背負わせて来
て言い辛いのですけど・・・・・来年・・・・大学を受験してみたい」
一瞬驚きましたが、妻には父親の死により妹の事も考えて進学を断念して、家計を助
ける為に私の勤めている会社に就職したという経緯があります。
「裕子も子育てやパートで頑張って来たから俺は構わないが、お母さんは何と言って
いる?今まで以上に子供達の事で世話を掻けるだろうから、俺よりも先ずはお母さん
の許可を得なければ」
「実は、お母さんには既に了解を得ているの」
「それなら俺は賛成だ。行けよ。そうは言っても試験に合格したらの話だが」
「本当にいいの?あなた、ありがとう。小学校の教師なるのが子供の頃からの夢だっ
た。でもお父さんが死んだ時に諦めたはずだった。パートは辞めてしまうけど、大学
を卒業したら、例え教師は無理でも熟の講師でも何でもして返すから」
私には趣味だと言って暇を見付けては勉強を続けていたのは、夢を捨て切れなかった
のでしょう。
この日から猛勉強が始まり、翌年妻は見事32歳の女子大生になったのです。
高校の時には勉強ばかりしていたらしく、私と付き合うまで遊びを殆ど知らず、化粧
や服装も地味だったのですが、それは女子大生になっても変わらず、ただでさえ一般
の学生よりも歳が一回り違う妻が、浮いた存在に成っていないか心配でした。
「友達は出来ないか?たまには一緒にお茶を飲むとか、食事をしてくるとか、多少の
付き合いはしたらどうだ?それに、もう少し流行の服を着た方が良くないか。その位
の余裕は有るだろ?」
「友達と言うか、仲間みたいな子達は何人も出来たけど、そんな贅沢はできないわ。
あなたやお母さんにも、これ以上迷惑を掛けたくないし」
この時は、逆の心配をする事になるとは考えもしませんでした。
それと言うのも、2年生の夏を過ぎた辺りから、妻の容姿がどんどん変わって行って
しまったのです。
髪を長く伸ばして明るい色に染め、化粧も派手に成った為に見た目5、6歳は若くな
りました。
服装も若い娘が着ている様な物に変わり、その上、付き合いだと言って帰りが遅くな
る事も度々で、子供を母に任せて休日に出掛ける事もありましたが、若い時に苦労さ
せた負い目が有るのか、母は何も言いません。
私も、ただでさえ7歳も若い妻が更に若くなり、可愛くて仕方が有りませんでした。
しかし3年生になると更に派手になっていき、身体のラインを強調した服や、今にも
パンティーが見えそうなミニスカートまで穿きだしたので、流石に放ってはおけません。
「おい、34歳でそのスカートは短過ぎないか?それにその胸の大きさを強調した服
は何だ?裕子は2人の子供の母親なのだぞ」
「そう?ミニスカートなんて、今は40代の奥さんだって穿いているわよ」
「それにしても短過ぎるだろ。それでは少し屈んだだけで見えてしまうぞ。裕子は変
わったな。化粧だって、まるでキャバクラのお姉ちゃんみたいだし」
「似合っていると思うけどなー。それよりも、キャバクラに詳しそうだけれど、行っ
た事が有るの?」
妻は今になって青春を謳歌している様でした。
その後も妻はゼミのコンパなどを理由に、帰宅が遅くなる事が増えて行きます。
そんなある日、飲み会で遅くなって終電に乗り遅れた私がタクシーで帰る途中、我が
家から300メートルほど離れた所に止まっていた、白いスポーツカーから妻が降り
てくるのを目にしました。
「ごめんなさい。教授も交えてゼミの仲間と食事をしていて、話が盛り上がってしま
って、すっかり帰りが遅くなってしまいました」
「そうか。それで、どうやって帰って来た」
「終電に乗り遅れたので、タクシーで帰って来ました。贅沢をしてすみません」
妻が平然と嘘を吐いた事が私にはショックでした。
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