薬剤師 7.
津島正義 4/5(日) 21:07:21 No.20090405210721 削除
「なんで俺に言ってくれなかったんだ。夫婦なのに!俺は昔からベッドでは少し淫乱な方がいいと思っていたんだ。でも拒否されてステレオタイプな形のセックスしかできなかった。俺は前からいろいろ試したかったし、もっと淫乱なセックスをしてみたかったんだ。」私は本音を吐露した。
「今からでも遅くないからいろいろ試してみような。夫婦なんだから恥ずかしいことなんかないんだよ。2人がよければどのようなことでも愛の行為として許されるんだ。自分に素直になってもっともっとセックスを楽しめばいい!」私は妻にそう訴えました。
「はい、あなた。帰ってきたらもっともっと試してね。私もして欲しいことを正直に言います。自分に素直になります。」と妻は約束してくれました。
嬉しい反面で、3カ月も留守をするのに、妻の身体に火をつけてしまってよかったのかなと私は少し後ろ髪を引かれる思いだったのです。その夜は心地よい疲れからかすぐ寝てしまいました。
出発前の3月30日の日曜日に私は、近くに住む妻の友人である井崎恵子43歳の夫慎次さん45歳と会って、3カ月の予定で中国へ出張するので、留守中宜しく頼む旨をお願いしました。留守中は妻子だけになるので、何かあったときは宜しく面倒見て欲しいといった趣旨の挨拶なのです。
慎次さんも心得ていて私の趣旨を分かってくれて、留守中はそれとなく恵子さんに面倒見させると約束してくれました。私は菜穂子が人事異動で出張するような職務に就いた旨を慎次さんに伝えました。
妻と恵子さんは子どもを通じて知り合った友人で、お互いの家を行き来する間柄です。その関係から旦那同士も知り合い、家族ぐるみでお付き合いするようになったのです。
翌日の4月4日朝、私は成田国際空港から飛行機に乗り、中国へ向かいました。中国出張の理由は私なりによく理解しています。中国には生産委託する協力工場がありますが、食の安全性についてもうひとつ信頼がおけないのです。
ですから自社工場を建設し日本の製造技術や品質管理技術だけでなく、現地従業員の教育を通じて食の安全性を確保しようとしているのです。そのためには製造や品質の管理技術に明るい人が行かねばならないのです。私がそのお眼鏡にかなったというわけです。
そして3カ月を中国で過ごし、7月4日金曜日に日本へ戻ってきました。中国では工場建設の最終段階を見届け、設備の搬入・据え付けを行い、試験生産を繰り返してから、商業生産させてきました。
一方で中国人従業員の品質に対する考え方を変えさせるべく徹底した教育を実施してきました。意識改革のため生産したばかりの製品を廃棄したこともあります。私は廃棄するにあたって何故廃棄するのか、何故不良品と判断したのか、何故不良品が生産されたのか、従業員によく説明しました。
製品は会社の顔です。その善し悪しが会社の信用・発展を左右します。徹底的に良品を生産することの必要性を強調してきました。そしてそんなことを繰り返しながら何とか本生産へとこぎつけ、新たに中国に着任した工場長(元製造部次長)にバトンタッチしました。
慣れない異国での仕事は言葉や文化の違いもあって気苦労が多く、私には本当に激務でした。当初中華料理が続いたためか下痢に悩まされました。それでも会社のため、家族のためと頑張ってきたつもりです。
中国滞在中に井崎慎次さんから5月中旬と6月中旬に手紙による連絡がありました。恵子さんが土日にそれとなく妻の様子を見に行ってくれていたようです。直接会って話をするだけでなく、それとなく様子を見ていてくれたのです。
直接話をしているときはいいのですが、離れて様子を見ているとき、妻が何か考え込んだり、涙を見せるなど、妻の様子が少しおかしいとそれとなく知らせてくれたのです。
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