[950] 贖罪#05 投稿者:逆瀬川健一 投稿日:2001/07/21(Sat) 12:09
【#05 停滞】
週末に、また急な出張が入ってしまった。得意先の年末キャンペーン企画の詰めを行わねばならない。担当者が夏の休暇に入るまでに決済事項をクリアするのだ。
妻が風呂に入っているときを見計らって、すべての預金通帳の残高を確認したが、使い込みや無断の解約などの証拠は見つからなかった。やはり、Tが連帯保証人になったのだろうか。それほど、Tたちの事業は将来性があるのだろうか。
今となっては、私の手元にあるネタは例のデジタルフォトのみだ。妻からFへのメールがあればまだしも、Fからの一方的なメールだけでは、いくらでも言い逃れができる。デジタルフォトにしても、電子的にコラージュした“悪い冗談”だと言われればそれまでだ。
妻の不倫を暴く最後の手段は、現場に踏み込むこと。
だが、それでどうなる。離婚か?
妻がどうしようもない性悪女ならまだしも、家事はそつなくこなすし、近所づきあいにも如才ない。夫婦仲はいたって円満だし、家を空けることもない。
(あれ……?)
心の中のバランスシートは、プラス面に傾いている。自分ひとりが熱くなって空回りしているような錯覚にとらわれた。Fが妻の人生に登場したこと以外、これまでと何も変わりはしない。夫婦関係にヒビが入らないかぎり、Fとの浮気は妻のプライベートな出来事、単なる気晴らしだと言えるのかもしれない。
私は自分が醒めていくのを感じた。この一週間の懊悩はいったい何だったのだろう。自分で掛けた梯子を自分で外してしまった今、着地点が見つかるまで、私は宙ぶらりんのままでいなくてはならない。出張の間中、その思いがエンドレスで私の脳裏を去来した。
課長、と呼びかけられて、私は我に返った。出張に同行している部下のMだった。出張帰りという安堵感のせいか、表情がゆるんでいる。Mの無防備さにつけこむことに胸の痛みを感じながらも、私は訊かずにはおれなかった。
「M、おまえ確かバツイチやったな。ええ人はもう出来たんか」
「まさか。今でもヨメはん思い出して枕を涙で濡らしてますよ」
「ほんなら、なんで別れたんや」
「アホな亭主に愛想づかしいうとこですわ。ヨメはんが男作って抜き差しならんようになるまで気づかんかったんです」
「修羅場……やったんやろな」
「いや、円満離婚でした。すっかり男に馴染んでしもた言われると、怒る気ものうなってしもて……。今でも、その男といろいろしよるんやろな思うと、もやもやしてきます。男はほんまに損や。いや、ぼくだけかもしれへんけど」
車内販売のワゴンが車両に入ってきた。私は札入れを取り出した。新幹線は米原を過ぎたあたりだ。ねぎらってやってもいいだろう。「ビール、飲むか」
「ええんですか?」
「どうせ直帰や。ビールくらいかまわんやろ」
私は、Mの話に着地点を見つけた思いがした。不倫によって妻がどう変化してゆくかを見守るのもいいかもしれない。結婚して十一年間、男といえば私しか知らなかった妻が、どう変貌してゆくかを。
Mは法的にも物理的にも伴侶と別れなくてはならなかった。だが、精神的には、まだ妻の面影を追い続けている。それに比べて私の恵まれた境遇はどうだ? 夫婦関係の維持と性的好奇心への刺激との両方が満たされようとしているのだ。
(歓迎すべき状況ということかな)
わだかまりが消えたような気がした。喉を滑り降りるビールの冷たさが、なんとも心地よかった。
その日を境に、私は二日に一度、妻と交わるようになった。
義務感ではない。見慣れていたはずの仕種、肢体、声、ちょっとした表情に新鮮な色気を感じ、三十三歳の肉体を貪らずにはおられなくなったのだ。
ベッドでの妻は、別人と言ってもよいほどの豹変ぶりを見せた。
これまでおざなりだったフェラチオがねちっこくなった。以前は唇をかぶせて舌を蠢かすだけだったのが、今では一方の手で陰嚢をやわやわと揉み込みながら、もう片方の手で軸をしごき、舌全体で亀頭を圧迫するなど、さまざまな技巧を弄するようになった。とりわけ、私の反応を窺うかのように投げかけてくる視線にとても興奮させられた。
もちろん、変化はフェラチオだけにとどまらなかった。
私を最初に受け入れる体位は騎乗位が定番となった。自ら両の乳房を握りしめ指を食い込ませながら、腰をグラインドさせ、スライドさせ、打ち込み、早々にいってしまう。
だが、それはまだ妻にとっては前戯に等しい。
結合を解くと、ふたたび私の怒張を咥えて自らの愛液を舐め取り、その口でキスを求めてくる。私の先走りの粘液と妻の愛液が混ざり合った唾液は獣じみた匂いを発し、私の理性は消し飛んだ。
それまで三十分ほどで終わっていた夫婦の交歓が、最低一時間かかるようになった。週末の夜は二時間たっぷり使って快楽を共有する。それで厭きることはなかった。妻の肉体を貪る私の脳裏には、常にFから妻に送られてきた写真の残像があった。その一ショット、一ショットがフラッシュバックするたびに、男根に力がみなぎった。
そんな自分は変態ではないか、と自己嫌悪に陥るほど私はうぶではない。妻の密やかなアバンチュールを認めた以上、その見返りを受ける権利がある。どこまで妻が淫らになるか、私をどれだけ愉しませてくれるか……。それは新婚時代以来の性的興奮と言えた。
秋の気配が漂いはじめたある日。帰宅した私を迎えたのは、ドレスアップした妻と、華やかに飾られたダイニングテーブルだった。特上のにぎり寿司と大吟醸の一升瓶をキャンドルの柔らかい光が彩っていた。
(何の祝いだ? いや、記念日か?)
とまどう私に、妻が封筒を差し出した。
「マネージャーの認定証なの。誰でもなれるディーラーは、もう卒業。これからは、ディーラーを育てる役割やから大変やわ。もちろん、収入かて増えるから楽しみにしてて」
「まだ二か月も経ってへんやんか。ずいぶん無理したんとちゃうか」
私は水を向けてみた。
「カネかてちょっとは遣うたんやろ」
「ちょっとだけ、ね。マネージャーになるためには避けて通れん借金やったけど、もう全額返済ずみやから心配せんとって。さあ、いよいよ事業主への第一歩。一緒に祝って」
私はそそくさとシャワーを浴びると、テーブルに着いた。
いつになく、妻は饒舌だった。商売のシステムを得意げに説明してくれたが、マルチ商法に関する書籍を読みあさっていた私にとって目新しいものではなかった。
「それで、会社でも興したりするわけ?」
「ううん。まずはTさんのアシスタントをしながらマネージャーの仕事を覚えようと思てる。Fさんいうエリアマネージャーも力を貸してくれるらしいから心強いわ」
(Fってのは、エリアマネージャーだったのか)
マルチ商法はいずれもそうだが、レベルアップするためには上位レベルの者の推薦が必要だ。マネージャーTの一存では妻をマネージャーに引き上げることはできない。推薦の代償として、妻の肉体を要求したのだろう。このようなことは日常茶飯事なのだろうか。
問題は、いつ妻にストップをかけるかだ。幸い、妻は被害者にはならなかったが、加害者になりうる可能性は十分ある。
だが、妻に言い出すタイミングが掴めない。それを考えると、うまいはずの寿司が急に味気ないものになった。
停滞の始まりだった。
今回は、あまり変化のない話で申し訳ありませんでした。このときに手を打っておかなかったことが、非常に悔やまれてなりません。停滞だとばかり思っていたこの時期に、妻と私が絡め取られることになる罠の布石が次々と打たれていたことは想像の埒外でした。
では、また後日。
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