[1684] 無題 投稿者:逆瀬川健一 投稿日:2002/09/13(Fri) 21:11
【#24 終局】
それから約一年半、私たち夫婦は性の煉獄の囚われ人になった。ただし、その煉獄で味わうのは苦痛ではなく、爛れるような快楽と新鮮な感動だった。
妻は相変わらずSの私設秘書として働いた。もちろん、業務内容は接待用性奴隷だ。成功した実業家ほど、刺激を求めているらしい。陽の高いうちから自社の執務室で嬲ることもあれば、別邸に呼びつけて辱めることもあった。週に一度、宿泊を含む残業を私は認めた。自分が受けた屈辱を、奴隷の作法に則った言葉で逐一語ってもらうのがとても楽しみだったからだ。とくに、外泊明けの妻の告白は刺激に満ちていた。私が感銘を受けたのは以下のケースだ。
#1/さる宗教法人の修行場で、若き修行僧たち十数名の性欲処理をさせられた。男色による綱紀の乱れを予防する措置ということ。修業期間中、妻のような女たちが代わる代わる山門をくぐるのだという。
#2/三宮のクラブで黒人を誘惑し、予約していたホテルに連れ込んでは情交の様子を隠しカメラで撮影されるというもの。黒人特有の体臭にどうしてもなじめない妻にとっては苦痛の時間だということだ。(Sがこっそり教えてくれたが、黒人はいずれもクライアントの仕込みらしい)
#3/北新地のスナックを貸し切ってのSMショー。四人の女奴隷とともに、夜通しゲストに奉仕させられた。
#4/暴力団の襲名式に仲居として送り込まれ、幹部たちの慰み者になった。最初は死ぬほど緊張したらしいが、ヤクザならではの色責めに気絶するまで虐げられた。
#5/中部地方某所で五頭もの犬と交わらされた。獣姦専門に育てられた犬の最終調教の実験台になったらしい。
これらの光景はすべてビデオによって記録されていた。Sはいつでも見せると言ってくれたが、もはや、私は映像では満足できなくなっていた。妻の痴態は、生で味わうか、さもなくば本人の一人語りにかぎる。
男は、視覚からの刺激で欲情すると言われるが、私を激しく高ぶらせるのは想像力だ。かつてSが私に言った「人間の快楽中枢は脳なんだよ。決して粘膜の神経細胞などではない」という言葉が重みを増している。妻が陵辱をどのように受け入れ、果てしなく湧き出す欲情をどのように味わっているかを想像することがいかに楽しいか。妻の肉体と精神が蹂躙されたという確かな事実が根底にあるから、この想像は、無から生み出される妄想とは一線を画すほど強烈だ。
妻は、私の目の前で責め苛まれることを欲していたようだが、はっきりと口に出したことはなかった。自宅でSMプレイを行うこともなかった。
私は枯れてしまったのだろうか。一夜にしてSMの神髄に触れてしまったせいかもしれない。妻を思う気持はあったが、妻を伴って積極的に秘密のパーティに参加することはなかった。
そんな私を振り向かせるためか、より濃厚な刺激を得るためか、妻は密かにSにある申し出をしていた。さる中堅企業の会長夫妻に自分の身柄を期限付きで預けてくれませんか、と。
驚いたSは、勤務中の私に直通電話をかけてきた。昼休みを待って、Sの会社に赴いた。
「会長夫妻の件はちらっと話したことがあったんだが、まさか細君が覚えていたとは思わなかった。どうする、逆瀬川くん?」
「どうするとおっしゃいましても、私には判断のしようがありませんよ。S先生がご判断ください」
「その会長夫妻はご夫婦ともに六十歳半ばなんだが、ハードSMで有名でねえ。われわれとはちょっと指向が異なるんだよ」
SがやっていることこそハードSMではないのか? いつもの余裕が見られないSの様子が、妙に滑稽に思えた。
「会長夫妻のところからは、ただでは帰ってこられんという噂があってね」
「一生残るような疵とか?」
「肉体的にはNOだ。精神的なダメージが大きいらしい」
「なぜ、そんなところに妻が……?」
「限界に挑戦してみたいそうだ。きみ、何か不用意なことでも言ったりしたのか」
「まさか。夫婦仲は良好ですよ」
「マゾの業かねえ。突き詰めたいという願望は」
Sは宙をにらんだ。
「で、細君を預けてもいいのかな。期間は二週間。報酬は――」
「報酬なんて結構です。私は金銭の授受など関係ない世界を純粋に愉しんでいるだけですから」
「青いな」Sはにやりと笑った。「有償貸与というのは、細君を身も心も奴隷に堕とすためにするものだ。きみが気に病むことはない。私設秘書の給与と一緒に細君の口座に振り込むから。どうだ、本当に預けてもいいのかね?」
「今、妻はどこにおりますか」
「件の会長夫妻と会食中だ。こういうのは見合いと同じでね。こちらからお願いしても相手先の意に染まぬこともある。その逆も然り」
「双方合意ということであれば、私には何も言うことはありません」
Sは深くうなずき、辞去する私をドアまで送ってくれた。
その翌朝、妻は会長夫妻から回されたクルマで、奈良の自宅に向かった。
会長夫妻に対する妻の印象はすこぶる良かった。昼食を摂りながら、世間話でもするように妻の調教歴を訊いたという。
「初対面やのに、何でも話せるのが不思議やったわ。ご夫婦とも精神的に若いんやろね、どう見ても五十歳くらいにしか見えへんのよ。奥さんは、SもMもいける人でブレスレットの下にはBITCHとSLAVEいう刺青が彫ってあったわ。体中にいろいろ彫ってある言うてはった」
妻は弾んだ声で会食の印象を語ったが、今頃は夫婦の手によって快楽を味わわせてもらっているのだろう。電車を待つホームで、社内の喫煙コーナーで、私は夢想した。
二週間後。自宅マンションの部屋に明かりがともっているのを見て、ほっとした。約束どおり、妻が帰ってきたのだ。
玄関ドアのチャイムを押したが、内部から施錠を解く音がしない。ためしにドアレバーを倒すとドアが開いた。ドアチェーンすらしていないとは不用心にもほどがある。
三和土に踏み入れた私は、上がり框に正座した妻の姿に仰天した。
鞣し革に真鍮の鋲が埋め込まれた首輪とブレスレットだけを身につけていた。ボーイッシュに短くカットされた髪が、首輪の茶色を際だたせている。
「お帰りなさいませ」
それだけ言うと、妻は上体を深く折った。
背中一面に走る鞭痕が目に飛び込んできた。私は靴を脱ぎ捨て、妻の傍らに膝を突いて背中の傷をあらためた。
ふくらみの残る真新しいみみず腫れの周囲には、青紫や赤紫に変色した打痕が幾筋も走っている。その背景の膚は、黄色だった。内出血の治癒経過をいっぺんに見せられているようなものだ。二週間、妻への鞭打ちは日課だったのだろう。妻が自ら飛び込んだ地獄の凄惨さに、私は息を呑んだ。
「た、立てよ」
妻の腰に手を回した。
「よく見せてみろ」
リビングの照明の下で、妻の体を点検した。
喉から胸、腹、そして太腿の内側やふくらはぎなど、やわらかい部分に三センチほどの長さの切り傷が無数についていた。見た目は悲惨だが、傷は浅く、裂傷というほどのものではない。
「どうしたんや、この傷は」
「奥様のお仕置きです。言葉づかいや態度など、奴隷の作法をはずすたびに剃刀でお仕置きを受けました。ふつつかな牝犬でございますが、よろしくお願いいたします」
私は妻の肩に両手をかけて揺さぶった。
「おい、しっかりしろ! おれがわからへんのか。しっかりするんや!」
妻の視線が私の顔に注がれた。膜のかかったような瞳に輝きが戻ってきた。
「けんちゃん……」
妻が抱きついてきた。背中の傷に触れぬように、私はあえて腕を回さなかった。
会長夫妻の自宅を初めて訪れた日のことは鮮明に覚えていたが、二日目以降の妻の記憶はあいまいだった。
初日から、妻の人間としての尊厳は奪い去られた。妻や私がイメージするSMの範疇を逸脱し、虐待や拷問に近かったという。ちょっとした言葉づかいの誤りを咎められては仕置、奴隷としての誠意が見られないと難癖をつけられては仕置という日々を送ったのだった。会長宅には四十半ばのT子という女中がいたが、ただの家政婦ではなく会長夫妻のアシスタントも務めるサディストだった。夜の性奉仕の際は、一人の男と二人の女に責めを受けることになる。三十代の妻への嫉妬をむき出しにした女たちは、同性のみが知る女の泣き所を巧みに衝いては妻に奴隷の境遇を思い知らせた。
三日を過ぎた頃から、妻には奴隷としての自覚が芽生えたという。会長夫妻と女中の思惑を先読みし、掃除や洗い物などの家事手伝いはもちろん、寵愛を得るためには何でもやった。奴隷という別人格が私の中に生じたとしか考えられない、と妻は語ってくれた。
「もう二度と行きたくないやろ。よう耐えたな」
妻の話を聞き終えた私は妻の髪を撫でながらいたわりの言葉をかけた。
だが、妻の答えは私の予想を大きく裏切った。
「たびたび伺うことにしたの。大きなお宅だから、T子さん一人じゃ大変よ」
「正気か? 神戸から奈良までわざわざ通うんか?」
「週末。せめて一泊で……おねがい」
「おれと一緒にいるよりいいんか?」
私の問いに動揺も見せず、妻はほほえみをうかべた。
「実は、会長にひとつだけわがままを言わせてもらってるの。ご奉仕するとき、会長を『健一さま』と呼ばせていただきたいって。快くお許しくださったわ」
胸が締めつけられるようだった。妻は、ご主人様の義務を果たさない私を振り向かせるために、会長夫妻の厳しい調教を受けたのではなかったのだ。苛酷な責めを受けながらも、精神的には私を見つめつづけていたのだった。
私はいったい何を見、何を聴いていたのか! 惚れあって結婚したはずなのに、妻の気持をこれほど理解できていなかったとは。妻にとっては不本意な不倫から始まった性の闇への冒険を、私は心のどこかで夫婦のトラブルと思っていたようだ。冒険が終われば、穏やかな夫婦生活が戻ってくる、と。だが、これまで私たち夫婦が経験してきたことは、冒険ではなかった。それは、私たちの生き方そのものだったのだ。
マスコミがつくりだした夫婦のイメージ、人生設計、ライフスタイルに、広告業界に身を置く私自身が洗脳されてしまっていた。そんな私の姑息なはかりごとを、身をもって受け止めてくれた妻に感謝の言葉もない。今はただ、妻への罪を贖うことしかできない。うちのめされた私は、詫びようと口を開いた。
「頼りないご主人様で――」
妻は私の口に手を当てて言葉を封じた。「ロッキングチェア・マスターは、もっと威張ってなきゃ」
捕り物に走らず、ロッキングチェアでくつろぎながら真犯人を推理する「ロッキングチェア・ディテクティブ」をもじったものらしかった。奴隷の身に触れることなく調教を施すご主人様……。その言葉で、私の心は一気に軽くなった。
「もうすぐボーナスやし、神戸にも飽きてきたところやし……」
妻の目をまっすぐに見て言った。
「引っ越そうか、奈良に。毎日でも会長宅に通えるやろ」
大きな笑みが、妻の顔に浮び、すぐに嬉し泣きに取って代わった。
昨年の七月来、私の不定期な書き込みと拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。現在、妻はS氏の私設秘書として週の半分を、会長宅の家政婦として週の半分を送っており、週末は常に不在です。会長宅まで私たちのマンションから徒歩二十分ほどの距離ですが、いまだに会長夫妻とは面識がありません。もちろん、これからもご夫婦と顔を合わせることはないでしょう。
最後に。管理人さま、私の告白を『妻物語』に書き込ませていただき、感謝しております。五百万ヒットもすでに秒読み。このすばらしいサイトのますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。ではまた、機会がありましたら。
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