WR 1/29(月) 17:32:19 No.20070129173219
土曜日がやってきました。約束の時間に玄関に現れた村瀬と久美は前回とは人が違ったように沈んでいました。特に村瀬の消沈振りは見る影もないほどです。
「どうした、突っ立っていないで入れ」
私は2人をリビングに招き入れます。村瀬と久美がいつまでも立っているので、私は「座れ」とソファを指差します。妻が心配そうに2人の様子を見ています。
「金は持ってきたのか?」
村瀬の顔は青ざめ、唇が小さく震えています。
「持ってきていないのか?」
「……」
「どうした、黙っていてはわからない」
村瀬はいきなり「申し訳ありません!」と叫ぶような声を上げると、床の上に土下座をしました。
「何の真似だ?」
「……」
「株は売れなかったのか?」
「……はい」
村瀬は蚊の鳴くような声で答えました。紅茶のカップを乗せたトレイを手に持ったままの妻がため息のような声を上げました。私の視線に気づいた久美があわてて村瀬の隣に土下座をします。
「……そうだろう」
私の言葉に村瀬が顔を上げました。
「父親に叱られたんじゃないか?」
「なぜそれを……」
「簡単なことだ」
私は静かな口調で話し始めます。
「父親が君に対してなぜ株を渡したのか、君はまったくその意味がわかっていない。おおかた財産の前払いか何かだと、安易に考えていたのではないか?」
村瀬は顔を引きつらせたまま私の言葉を聞いています。
「君の父親の会社は2年前に公開したばかりといったな。少し調べさせてもらったが、まだまだ成長していく会社のようだ。これからもたくさんの資金が必要だろう。その場合、株式市場から調達、要するに会社が新しい株式を発行して個人などの投資家に株を買ってもらう必要がある」
「そんな会社の経営者が自分の息子に株を渡して、そいつが人妻と不倫をはたらき、慰謝料を払うために株を売ったなどということがわかればいったいどうなると思う? そんな馬鹿な理由で経営者の息子が売る株を掴まされる投資家こそいい面の皮だ」
「また、君の父親は当分の間は自分が会社のトップを勤めるつもりだろうし、将来は出来れば君を後継者にとも考えているかもしれない。そんな経営者が自分や自分の家族の持ち株を売ることを認めるなどということはありえない」
村瀬の肩の震えがだんだん大きくなってきます。
「だいたい、君の父親の会社の株がどうしてそんなに上がったのか、その理由がわかっているのか」
村瀬と久美が同時に顔を上げました。
「君の父親や父親の会社の従業員が死に物狂いで働き、長い時間をかけてお客に商品が認められ、他の会社との激しい競争に勝ち抜いてきたことの結果だ。その汗の結晶を君はどぶに捨てるような使い方をしようとしている」
「君の父親が君に株を持たせたのは、経営の厳しさとは何か、経営者の心構えとは何か、会社の価値と株とは何か、また生きていくうえでのお金の持つ意味とは何かを教えたかったからじゃないのか」
「父からも……同じようなことを言われました」
村瀬はそう言うと再び深々と頭を下げました。
「申し訳ありません!」
「金が用意できなかったことを謝っているのなら、その必要はない」
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