投稿者:MM 投稿日:2004/08/16(Mon) 20:33
5月10日(月)の3
一瞬野田に同情してしまいましたが、同情出来る相手では有りません。野田は離婚した奥さんと
私の妻の2人共を、自分の物にしようとしていた男です。私の妻を、今でも狙っている男です。
同情などしていると、今度は私の席を野田に盗られてしまいます。
「野田は最後に“教育委員会へ行って今までの事を全て話してやる。あんな奴が教育者で良いの
かと抗議してやる。お前達だけ幸せにはさせない。”そう言って電話を切ってしまいました。
ただの脅しだと思っていましたが、本当に抗議しに行ったらしく、後日彼は、教育委員会に呼ば
れました。しかし、生徒の親と不倫関係になった事は遺憾だが、過去の事で、すでに法的責任も
取っている。ましてや今回の結婚は、お互いに独身なので、何の問題も発生しないという判断を
してくれた様です。野田もそう言われているはずで、もう諦めがついたのか、その後、今まで何
も言ってきません。」
美代子さんは何も分かっていないと思いました。そんな簡単に諦められる事では有りません。
「前を向いて歩いていく事に決めました。そういう訳で、言い難いのですが、もう私の所へ来る
のは、今回で最後にして頂きたいと・・・・・・・。過去は忘れて、前だけ見て生きて行きたい
ので・・・・・・・・・。」
美代子さんは勝手だと思いましたが、彼女の人生に口出しできる立場ではなく。
「分かりました。幸せになってください。」
新幹線の中で考えていて初めに思ったのが、昨年の様に妻が同情して、また関係を持ってしまっ
たのではないかという事でした。しかしこの場合、私に知られて急に怖くなって保身に走ったと
しても、同情している野田を、犯罪者にしてまで自分を庇うでしょうか?
やはり、自棄になっていた野田は、本来なら美代子さんに向くはずの、どうする事も出来ない感
情が目の前にいる妻に向き、また自分の物に出来れば、少しでも楽になれると思ってしまった。
その為には、多少犯罪行為になろうとも、身体の関係さえ持ってしまえば、妻の身体は野田を思
い出して、また離れられなくなると考えた。しかし、いくら犯罪行為になっても良いと思ってい
ても、ずる賢い野田は、出来れば犯罪行為が立証され難い方法は無いかと考えて実行に及んだ、
と考える方が自然では無いかと思えました。
そうだとすれば、自棄になっているはずなのに、あの冷静な話し方は、逆に今までに無い怖さが
有ります。最初に感じた、ストーカーの様な陰湿な怖さを思い出しました。
野田が少し酔っている時に言った、“離婚してくれないか”という言葉が、今では“別れさせて
奪ってやる”と言われた様に思えます。
妻に多く向けられていた疑いは、これで大きく野田に傾きました。
アパートに着いて1人になると、私の不安は大きくなり、妻を連れて来なかった事を悔やみ、家
に電話すると、妻は帰って来ていたので少し安心しました。
「野田はどうだった?何か言われたり、されたりしなかったか?」
私の心配を他所に、妻は明るい元気な声で。
「いいえ、何も。今日はずっと課長を睨み付けていました。私と目が合いそうになると、下を向
いて目を合わさないのです。今度2人になった時は、私を脅した事や、嘘をついている事を、強
く抗議してやります。罪を償えと言ってやります。」
私は不思議でした。いくら脅される事はもう無いと思っていても、野田は男で妻は女です。妻は
怖くないのか不思議でした。
「もうお前はあいつに関わるな。それに2人になる事が有るのか?あんな事が有ってもお前は2
人になれるのか?例え仕事でも、2人にだけになる様な事があるのなら会社を辞めろ。俺が嫌な
事は知っているだろ?本当に無理やりされたのか?」
「ごめんなさい。つい調子に乗って言ってしまいました。課長と2人だけには、絶対になりませ
ん。約束します。ごめんなさい。」
仕事を辞めるか辞めないかは別にして、明日にでもこちらに来させるつもりで電話しましたが、
私の事を気遣い、わざと明るく振る舞っている様には聞こえず、妻への疑いも完全には消える事
が無く、そのまま電話を切りました。
私はこの時、今までに無いぐらい、会社を辞めさせたいと思いました。昨年から今までに何度も
考えた事ですが、自分に色々理由を付けて、初めから決めていたように思います。
お金の問題も有りましたが、それは二の次で、仕事を辞めさせても、妻の心が変わらなければ同
じだとか、野田から逃げる事に私のちっぽけなプライドが許さないという理由が、1番だと思っ
ていました。勿論それらの理由も有りますが、冷静に考えると、それは自分に対する見栄で、お
金の問題が1番だったのではないかと思えて来ます。
私の育った家は、とても私を大学に行かせる事の出来る経済状態ではなかったのですが、父は1
つ返事で笑って許してくれました。しかし家に帰る度、父も母も、いつも同じ服を着ており、私
は下宿代や食費などは勿論ですが、アルバイト学費の一部も出し、月末にはバイト代が入るまで、
酒瓶を拾い集めてパンに代えてもらい、食い繋いだ事も有りました。
しかしそれは、苦労したとは思っていませんし、今では良い思い出だと思っているのですが、や
はり子供達にはさせたくないのが本心です。特に息子の入った学部は学費も高く、4年で卒業出
来ません。回りにはバイトもしないで、高級外車を乗り回している者が何人もいるそうです。上
を見れば桐が無く、とてもその様な生活はさせられませんが、学費とアパート代くらいは、出し
てやりたいと思ってしまいます。
子供達は、私が何も言わなくても、家に帰る間が無いほどバイトをしてくれ、食費などの生活費
は、自分で稼いでくれています。レベルは違っても、自分の学生時代を思い出し、これ以上は言
い難いのが正直な気持ちです。夫婦が壊れるかも知れない時に、くだらない親の見栄かも知れま
せん。
家のローンと今後の生活を考えれば、2人の退職金も当てにならず、バブルの時代に、どうして
大きな家を買ってしまったのかと悔やみます。自分の甲斐性の無さ、不甲斐無さが嫌になります。
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