投稿者:バーバラ 投稿日:2005/07/26(Tue) 20:22
娘を岐阜の両親のもとへ預けたあと、わたしは金沢へ向かいました。行き先はどこでもよかったのです。ただ、どこかへ向かわないではいられませんでした。
金沢に着いても、兼六園など観光名所を見てまわる気にもなれず、旅館の中で日を過ごし、たまに気が向いたときに、近くを散歩するだけでした。
妻のことを考えていました。
わたしは若いうちから悲観的で鬱々としたところがありましたが、妻もまた、どこかに独特の暗さをもった女でした。ふたりが夫婦となったのも、お互いの抱えた陰の部分が響きあったからのような気がします。
しかし、妻が勇次との情事へのめりこんでいったのも、後に(わたしに言わせれば、ですが)破滅的な生活へと歩みを進めていったのもまた、妻のそうした性向が関係していたのではないか。わたしにはそうおもえてなりません。
金沢で無目的に怠惰な日々を過ごしながら、わたしがおもいだすのは、勇次との爛れた関係に堕ちていった女ではなく、いついかなるときもわたしを手助けし、公私共によきパートナーになってくれていた女との思い出ばかりでした。
わたしが帰ろうと決意したのは、十日あまりも過ぎてからのことでした。結論など出ていませんでした。これから先のことを考えることすら、忌避していました。しかし、ただ延々と過去を回顧し、現在から逃げ回ってばかりの自分に嫌気がさしたのです。
両親から娘を受け取り、車で家へ戻る最中、わたしは不安に苛まれながら、家族の行き先を憂えていました。しかし、隣に座っている娘(両親の話では、母から引き離された十日間あまりの生活で泣いてばかりいたそうです)の顔を見ると、そんな弱気なおもいではいられない、という気になります。たとえ、どんな事態になっても、この子の幸せだけは守ってやる。わたしはそう決意し、その決意によって不安な自分を奮い立たせていました。
わたしのおもいなど、露知らず、娘は久々に母親に会えるうれしさで、無邪気にはしゃぎまわっていました。
しかし―――。
家に着いたわたしたちの前に、妻は姿を見せませんでした。いくら待てども、帰ってきません。
妻は消えていました。
泣きわめく娘を残して、わたしは勇次の部屋へ走りました。
勇次の部屋は空でした。管理人のお爺さんの話では、少し前に出て行ったそうです。勇次の履歴書にのっていた学校へ電話しましたが、勇次は学校も辞めていました。
妻と勇次はこうしてわたしたちの前から姿を消しました。
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