投稿者:KYO 投稿日:2006/03/09(Thu) 21:09
「お義父さんやお義母さんにも聞いてもらったらどうだ」
「それは……」
妻が切羽詰まったような声を出します。私も本音では夫婦間のゴタ
ゴタに病に倒れている義父まで巻き込みたくはありません。41歳
にもなる娘の育て方についていまさらその親に苦情を言ってもしょ
うがないことも分かっています。
「わかった。今家には俺しかいない」
「すみません、すぐにかけます」
私が受話器を置いてから3分程しかしないうちに、電話がなりまし
た。
「紀美子です……」
私は妻の声を不思議なほど遠くに感じました。それは遠い実家から
かけているということだけでなく、気持ちの上の距離感だったと思
います。
「話したいことって、なんだ」
「あの……」
妻は口ごもります。
「春日さんと話されたんでしょう」
「奴から連絡があったのか」
「はい……」
「いつも連絡を取り合っているんだな」
「違います」
「まあいい、おまえの話を聞こう」
私は妻を促します。
「ビデオと写真をご覧になったんですね」
「それは俺が春日に言ったことだ。夫以上に信頼している人間の言
葉をわざわざ俺に確認しなくても良いだろう」
「それは違います。私があなた以上に信頼している人はいません」
私は本当は「信頼している」というより「愛している」と言いたか
ったのですが抑えました。そう言って妻に否定されないことを無意
識のうちに恐れていたのかも知れません。
「まあいい、それよりもさっきから質問ばかりだな。紀美子が話が
あるというからかけたんだ。その話を聞こうじゃないか」
「それは……やっぱり電話で話しにくいです」
「それなら俺から話すことはないから、これで終わりだ。離婚届を
送って置くから署名捺印して返せ。後は弁護士を通す。おまえはも
うここに帰ってくる必要はない。お義父さんの看病も必要だし、ち
ょうど良い。ずっと実家にいろ」
「そんな……離婚なんて言わないでください。あなたが考えている
ような関係ではないんです」
「俺は何も自分の考えを付け加えていない。お前たちの嫌らしいビ
デオと写真から判断しただけだ」
「待ってください、私の話を聞いてください。水曜日には家に帰り
ます」
「水曜日……今日中に離婚届を速達で送るから水曜日にはそちらに
着く。お前はそこで待って受け取れば良い」
私は一気にそこまで話すと電話を切りました。その後何度も電話が
鳴りましたが、私は出ませんでした。そうこうしている間に玄関の
チャイムが鳴りました。ドアを開けたらそこには緊張した面持ちの
春日が立っていました。
「ご主人、申し訳ありません!」
春日は玄関に入るや否やそう叫ぶように言って、その場に土下座し
ました。私はしばらくあっけにとられて春日の様子を眺めていまし
た。
「入れ」
「はい」
私は春日を応接間に通しましたが、春日はソファには座らず、床の
上に直接正座しています。私はそれを見てふと、春日は以前にもこ
のような修羅場を経験しているのではないかと感じました。
「あんたとももちろんだが、あんたの奥さんと話がしたい。出来れ
ばこの場に呼べ。あんたの奥さんも被害者だからな」
「……ご主人、私には妻はいません」
「何?」
春日は私より少し年上の40台半ばといったところのようです。今
時その年で独身の男は珍しくありませんが、銀行という保守的な業
種で管理職の地位にある人間が独身だというのはやや意外な感じが
しました。
しかしこれで春日の家庭も壊してやろうという私の願望は潰えたこ
とになります。私は苛々してきました。
「独身か。ならちょうど良いじゃないか。俺は妻と別れるつもりだ
から一緒になれるぞ。ただし、2人ともそれなりの代償を払っても
らうつもりだがな」
私はそう言いながらも、妻からはともかく、春日に慰謝料以外にど
のような代償を払わせるのか考えていました。社内不倫ということ
で銀行の人事部から処罰させることが出来るでしょうか。
「ご主人、私は奥さんと一緒になる気はまったくありません。別れ
るなんておっしゃらないでください」
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