[45943] 家庭訪問・21 公務員 投稿日:2009/09/20 (日) 09:59
私はその日の午後、役所近くの喫茶店で、彼を待っていました。私が呼び出したのですが、同じ建物で働いていながら会うのは何年ぶりかなのです。いや、彼と私は互いに意識的に、顔を合わせないようにしていたと言っていいでしょう。
喫茶店のドアが開く音がして、彼が入ってきました。小さい目をまじまじと開いて私を見ています。きっと、何事かと思っているのでしょう。わたしは、彼の名前を呼びました。
「堀田さん、立ってないで、こちらへ・・・」
堀田は、まじまじと私を見ながらテーブルにやって来て、座ってからも私から目をそらしませんでした。私も黙って、彼の顔を見返していました。業を煮やした掘田が、先に口を開きました。
「い、いったい、何のようなのです?わざわざ呼び出して。ねえ、いったい・・・」
「もうそろそろ、こうして普通に会って話をしてもいいでしょう。そう思っているんですよ、堀田さん」
堀田は、当時、真面目で責任感のある男でした。今もそうでしょう。仕事ぶりを認められ出世している。だから、こうして焦っているんでしょう。私は、体格のいい堀田の、手をじっと見ました。
私の妻が妊娠し、私たち夫婦が幸せの真只中にいた頃でした。私は、堀田が役所から数百万を横領しているのを知ったのです。私と堀田は、同じ事業計画の中にいたのですが、気づいたのは私だけでした。何故こんな事を?私と年も近く、人当たりのいい彼が、どうして?私が上に報告すれば、彼は一巻の終わりでした。彼は仕事ができて、私も何度も助けてもらった。いいやつだったのです。私は彼と話しをしました。
いずれ明るみになると思っていたのかもしれません。堀田は観念したように、私に話してくれました。彼の弟が、数百万の借金を抱え、それに使ってしまったのだと、堀田は告白しました。
堀田は私と似たような境遇でした。結婚し、子供も生まれ、新築の家も購入していたのです。彼自身もローンを背負っている。
私は、堀田が横領した数百万を、経理資料の山の中に埋没させました。私が堀田をかばったのは、彼がいい人間で、私と似た境遇にいるという事もありました。しかしそれ以上に、黒い汚い闇の流通が渦巻いていて、私は嫌気がさしていたのです。
当時はバブルに世間がおごっていました。私が属する組織もそうです。特定の業者との黒い繋がり。馬鹿高い接待や宴会。特に上の人間にいけばいくほど、職場の物、金の私物化が蔓延していました。堀田が横領した数百万に、誰も気づかないほど、麻痺していたのです。
堀田の数百万を細かく分散させ、裏の流通の中に紛れ込ませることは簡単なことでした。上の人間も、ろくに資料を見ずに、許可印を押しました。
私は堀田の横領を隠ぺいし、私も犯罪者になったのです。堀田は、私に頭を下げました。泣いて感謝の言葉を述べていました。それから私を避けるようになったのでしょう。ほとんど顔を合わすことなく、十年が経ちました。
なぜ私は、堀田のところに行き着いたのか?私は堀田の手をじっと見ました。十年前と同じだ。ハンカチで汗を拭いている堀田に聞きました。
「堀田君、弟さんは、あの事を知ってるのかい?」
「いや、知らない。知らないよ。何も言ってないからね」
「奥さんや、お子さんは、元気?」
「え・・・?ああ、元気だよ。娘はもうすぐ中学に・・・え?」
私はなぜか涙ぐんでしまって、堀田を見ました。あれから十年。私の知らない堀田の家族が成長している事に、不思議な感傷がわいたのです。
「すまない・・・君との約束を破って一人だけ、話しをした事がある・・・」
堀田が、私が見ていた手をグッと握りました。
「私の恩師なんだ。私は子供の頃から剣道をやっていて、その剣道の師に、話したことがある。いや、相談したんだ。私はあの事で悩んで苦しんでいた。このままでいいのか?告白した方がいいんじゃないか?だから・・・信頼できた、尊敬していた先生に、打ち明けてみたんだ・・・」
「峰垣先生に?」
「ああ、そうだ。素晴らしい先生だった・・・」
昔もそうだったが、なんと馬鹿正直な男でしょう。私が掛けた鎌に、疑いもせず答えたのです。
「私の、ことは・・・」
堀田が一瞬言葉につまり、大きく手を振りました。
「言ってないさ、もちろん。助けてくれた人物がいるとは言ったけど。君の名前は言ってない」
正直な男だ。目を泳がせている。言ったか言ってないか、自分でも自信がないのだろう。私は確信しました。堀田は、あの男に、私の名前を無意識に口走っている。堀田の、十年前から変わらない、竹刀だこの目立つ手のひらを見ながら、そう確信しました。
「いってらっしゃい、あなた」
「うん、行って来るよ」
木曜日の朝。今日はあの男が、家庭訪問と称して、私の妻を貪りにやって来る日だ。私は決意していました。今日、けりをつける。あの男が私の家にたどり着く前に、襲撃する。
私に一度、あの男は襲撃され、剣道の有段者らしく隙なく構えているに違いない。男自身、そう言っていた。しかしそれは、普段や妻を貪った後の話だ。この家に来る道中は、隙だらけに違いない。私の妻の、美しい肉体を思い浮かべながら、だらしなく歩いているに違いないのだ。
「ねえ、あなた。今日は、健太の学校に授業参観に行くの。だから家を空けていますから」
「!?!」
私は、崩れた襲撃プランに戸惑いながら家を出ました。
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